アンコール・トムの中心、像のテラスの正面には、12の塔(プラサート・スープラ)があります。それらは、日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA:Japanese Government Team for Safeguarding Angkor)によって、10年半の年月をかけて、解体・修復工事が行われ、2005年に復元されました。参加団体・企業は、早稲田大学、鴻池組、間組、APSARA、名古屋工業大学、南山大学など多数です。
The west side of Angkor Thom's Royal Plaza is bordered by the majestic Terrace of the Elephants and the Terrace of the Leper King, and the est side is bordered by Prasat Sour Prat, a group of twelve three-story laterite towers and terraces. JSA devoted efforts to conductiong measurement surveys, excavations, and restoraion work at Prasat Sour Prat for aperiod of ten and a half years from the beginning of the project until its sompletion 2005.
WASEDA University 早稲田大学
Supervisor : NAKAGAWA Takeshi 中川 武
写真1:全体(修復後)South-West view, Prasat Suor Prat Tower (after restoration, April 2005)
写真2:全体(修復前)South view of antechamber, Prasat Suor Prat Tower (before restoration, July 2002)
写真3:全体(修復後)South view of antechamber, Prasat Suor Prat Tower (after restoration, April 2005)
from 「Report on the Conservation and Restoration Work the Prasat Suor Prat Tower」JSA, Sep. 2005
Nov 29, 2007
Nov 26, 2007
第1作 「~日本の対カンボジア経済政策~対カンボジアODA政策第1部」
1. はじめに
今日、日本と国際社会との経済的・政治的・文化的な関係は緊密さを増しており、日本はこれまで以上に国際社会との連携を強化しなければならない。日本は、これまでも経済面を軸に国際社会でとても大きな役割を果たしてきた。しかし時代は変わり、これからは中国を始めとした新興諸国の台頭が予想される。そのため、あらゆる分野で戦略的に国家活動を行う必要がある。だがこれまで、政府による「日本のありかた」の見解は、ぼやけたものであった。そのため、2006年に発足した安倍政権による「普遍的価値の共有」「自由と繁栄の弧」外交は、日本の進むべき方向を明確に示し、積極的に行動するものとして、評価されるべきものである。日本は、この目的に基づき国際社会、特に関係が深いアジアとの政策を行っていくべきである。
だが、日本の対アジア政策は、多岐に亘る。そこで、政策による効果が現れやすいカンボジアを対象国とし、日本の政策を考察する。尚、この中には日本の政策と間接的な関与がある、世界銀行などの国際機関の政策も考察の対象とする。よって、この4回分の内容は、カンボジアに対する経済政策を取り扱い、第1回目は、日本の対カンボジアODA政策の概要を記す。
2. ODAの概念
ODA(政府開発援助)とは、①政府ないし政府の実施機関から供与されるものであること、②発展途上国の経済開発や福祉の向上に主として寄与すること、③資金協力(貸付)は、GE(グランドエレメント)が25%以下であること、である。ODAの協力内容は、有償資金協力(円借款)、無償資金協力、技術協力に大別でき、さらに各内容に沿って細かく分類される。
3. 対カンボジアODA政策
3-1 検証意義
対カンボジアODA政策で検証を行う意義は、次にある。
●日本はカンボジアに対して最大の援助国で、カンボジアの復興努力を一貫して支援しているため。 ●ODAによる計画・実施過程・有効性・評価体制が、他の国に比べ、明確になりやすいため。 ●政策の種類は様々であるが、2国間援助の事例は、ODAの内容を把握するのに理解しやすいためである。
3-2 日本とカンボジアとの関係
日本は、カンボジアの最大の支援国である。カンボジアに対する1991年から2003 年までの援助資金供与の内、日本は総額の21.2%を占めている。日本は、2004年度までの累計で総額1,498.11億円を拠出しており、その内訳は、無償資金協力1,021.56億円(68.2%)、技術協力346.54億円(23.1%)、有償資金協力130.01億円(8.7%)となっている。カンボジアがLDC(後発発展途上国)であることから、これまで無償資金協力が占める割合が高く、食料援助、保健医療、教育関連などのBHN(基礎生活分野)を充足するための援助や、道路、橋梁、上水道などのインフラ整備を中心に実施している。また、技術協力では人造り、グッドガバナンス、社会基盤整備、農業、保健医療分野を中心とした支援を、カンボジアの現状に鑑み、制度面・人材面の両方から行っている。有償資金協力は、内戦や政治的混乱により暫く中断していたが、1999年の「シハヌークヴィル港の緊急リハビリ事業」案件から再開し、その後2004 年度には「シハヌークヴィル港緊急拡張計画」および「メコン地域通信基幹ネットワーク整備事業」、2005年度には「シハヌークヴィル港経済特別区開発計画」の調査・設計に円借款を供与している。
対カンボジアの事業実施上の基本的な考え方は、「人材育成・制度整備・インフラ整備を通じ、カンボジアの自立発展性を高めながら、経済成長と貧困削減の両立への協力を行い、人間の安全保障の実現を図る」ことである。これは、日本政府開発援助(ODA)大綱、ODA中期政策及び対カンボジア「国別援助計画」と、カンボジア政府によるカンボジアミレニアム開発目標(CMDGs)、四辺形戦略を念頭に置いて行われている。また、日本はこの考え方を考慮の上、5項目を協力の重点分野とし、プログラムを設定、事業を展開している。(図1)
図1 重点分野とプログラム
3-3 対カンボジア国別援助計画
カンボジアに対する国別援助計画は、2002年2月に策定されている。その概要は次の通りである。
(1)対カンボジア経済協力を取り巻く状況について
日本のカンボジアに対する経済協力の意義は、●政治的安定の重要性(アジアの平和と安定に必要、内戦時代に逆戻りさせないため。) ●経済的重要性(カンボジアの経済成長は、メコン地域開発や長期的なASEAN全体の経済の活性化にも大きく貢献し、ひいては日本経済にとっても有益であるため。)
また、カンボジアを開発するにあっての課題は、復興と再建についてである。●貧困対策 ●人材の不足 ●諸改革と社会資本の整備 ●地雷除去及び被災者支援
(2)今後の対カンボジア経済協力
日本の経済協力の目指すべき方向性は、●依然経済的困難に直面しつつも、復興に向け努力している同国への支援を継続 ●復興から成長への移行を視野に置きつつ、持続的経済成長と貧困削減の両者にバランス
●無償資金協力と技術協力を中心に実施
また、重点分野/課題については、●持続的な経済成長と安定した社会の実現(諸改革支援、経済基礎インフラ、農村開発等貧困対策) ●社会的弱者支援(教育、医療分野等)
●グローバルイシューへの対応(環境保全、薬物対策等)
●ASEAN諸国との格差是正(含むメコン地域開発)
以上が、対カンボジア国別援助計画の要旨である。
4. まとめ
対カンボジアODA政策は、日本の3つの指針と、カンボジア側の2つ指針を柱に、作成されている。そのためこれらは、緻密に構成されており、2国間の現在社会の状況を的確に表していると、私は感じた。さらに、具体的な指標の明確にされ、実施に対しての透明性が高いことには、とても驚いた。
援助の内容は、カンボジアが内戦終結後の復興段階であるため、無償資金協力・技術協力による、法規制定、インフラ整備、基礎的な人材育成がほとんどである。今後もこれらを強化すべきである。一方、有償資金協力は少ない。しかしカンボジア経済も順調に成長しつつあり、有償資金協力を増やしていくことが日本の自助の理念に沿うのではないだろうか。
さらに、援助の方法であるが、カンボジア国内の治安上等の問題から、日本の援助は都市部に集中していた。でも、治安が改善されつつある。そこで、所得格差問題が大きくなりつつある現状を是正するために、ODA政策の積極的な農村部への展開を検討すべきである。なぜなら注意すべき事案がある。それは隣国タイの2006年夏のクーデターで、その原因の1つとして、都市部と農村部の格差の拡大がある。少数派の中間層と大多数の低所得者層とに政権支持層が分離し、選挙の「数の原理」では勝てないため、最終的に軍部が介入してしまったのである。カンボジアで、このような事態を引き起こさないためにも、今後、人材育成を中心として、格差是正を図るべきである。
援助全般について、日本は今後ともカンボジア支援を強化すべきだと、私は考える。なぜなら、カンボジアの経済発展によって、日本経済に良い影響を与えることは、確実だからだ。また支援によって、紛争終結国が自立的で持続可能な発展を遂げる国になったならば、「モデルケース」となり、ひいては日本の国際評価が高まるのではないだろうか。
世間にはODA批判が多く存在する。だが今回、これを作成してみて、私は「これ程適切に税金が使用されている政策はないのでは」と思う程であった。目標、体制、過程、結果、効果、今後の課題が具体的に示され、確実にカンボジアの発展の基礎となっているものであると強く感じた。
次回のレポート内容は、対カンボジアODA政策の具体的な検証を行う。
図2 対カンボジア援助の推移 (支出純額ベース、単位:百万ドル)
ドルベースであるため、為替変動による支出変化に注意が必要
今日、日本と国際社会との経済的・政治的・文化的な関係は緊密さを増しており、日本はこれまで以上に国際社会との連携を強化しなければならない。日本は、これまでも経済面を軸に国際社会でとても大きな役割を果たしてきた。しかし時代は変わり、これからは中国を始めとした新興諸国の台頭が予想される。そのため、あらゆる分野で戦略的に国家活動を行う必要がある。だがこれまで、政府による「日本のありかた」の見解は、ぼやけたものであった。そのため、2006年に発足した安倍政権による「普遍的価値の共有」「自由と繁栄の弧」外交は、日本の進むべき方向を明確に示し、積極的に行動するものとして、評価されるべきものである。日本は、この目的に基づき国際社会、特に関係が深いアジアとの政策を行っていくべきである。
だが、日本の対アジア政策は、多岐に亘る。そこで、政策による効果が現れやすいカンボジアを対象国とし、日本の政策を考察する。尚、この中には日本の政策と間接的な関与がある、世界銀行などの国際機関の政策も考察の対象とする。よって、この4回分の内容は、カンボジアに対する経済政策を取り扱い、第1回目は、日本の対カンボジアODA政策の概要を記す。
2. ODAの概念
ODA(政府開発援助)とは、①政府ないし政府の実施機関から供与されるものであること、②発展途上国の経済開発や福祉の向上に主として寄与すること、③資金協力(貸付)は、GE(グランドエレメント)が25%以下であること、である。ODAの協力内容は、有償資金協力(円借款)、無償資金協力、技術協力に大別でき、さらに各内容に沿って細かく分類される。
3. 対カンボジアODA政策
3-1 検証意義
対カンボジアODA政策で検証を行う意義は、次にある。
●日本はカンボジアに対して最大の援助国で、カンボジアの復興努力を一貫して支援しているため。 ●ODAによる計画・実施過程・有効性・評価体制が、他の国に比べ、明確になりやすいため。 ●政策の種類は様々であるが、2国間援助の事例は、ODAの内容を把握するのに理解しやすいためである。
3-2 日本とカンボジアとの関係
日本は、カンボジアの最大の支援国である。カンボジアに対する1991年から2003 年までの援助資金供与の内、日本は総額の21.2%を占めている。日本は、2004年度までの累計で総額1,498.11億円を拠出しており、その内訳は、無償資金協力1,021.56億円(68.2%)、技術協力346.54億円(23.1%)、有償資金協力130.01億円(8.7%)となっている。カンボジアがLDC(後発発展途上国)であることから、これまで無償資金協力が占める割合が高く、食料援助、保健医療、教育関連などのBHN(基礎生活分野)を充足するための援助や、道路、橋梁、上水道などのインフラ整備を中心に実施している。また、技術協力では人造り、グッドガバナンス、社会基盤整備、農業、保健医療分野を中心とした支援を、カンボジアの現状に鑑み、制度面・人材面の両方から行っている。有償資金協力は、内戦や政治的混乱により暫く中断していたが、1999年の「シハヌークヴィル港の緊急リハビリ事業」案件から再開し、その後2004 年度には「シハヌークヴィル港緊急拡張計画」および「メコン地域通信基幹ネットワーク整備事業」、2005年度には「シハヌークヴィル港経済特別区開発計画」の調査・設計に円借款を供与している。
対カンボジアの事業実施上の基本的な考え方は、「人材育成・制度整備・インフラ整備を通じ、カンボジアの自立発展性を高めながら、経済成長と貧困削減の両立への協力を行い、人間の安全保障の実現を図る」ことである。これは、日本政府開発援助(ODA)大綱、ODA中期政策及び対カンボジア「国別援助計画」と、カンボジア政府によるカンボジアミレニアム開発目標(CMDGs)、四辺形戦略を念頭に置いて行われている。また、日本はこの考え方を考慮の上、5項目を協力の重点分野とし、プログラムを設定、事業を展開している。(図1)
図1 重点分野とプログラム
3-3 対カンボジア国別援助計画
カンボジアに対する国別援助計画は、2002年2月に策定されている。その概要は次の通りである。
(1)対カンボジア経済協力を取り巻く状況について
日本のカンボジアに対する経済協力の意義は、●政治的安定の重要性(アジアの平和と安定に必要、内戦時代に逆戻りさせないため。) ●経済的重要性(カンボジアの経済成長は、メコン地域開発や長期的なASEAN全体の経済の活性化にも大きく貢献し、ひいては日本経済にとっても有益であるため。)
また、カンボジアを開発するにあっての課題は、復興と再建についてである。●貧困対策 ●人材の不足 ●諸改革と社会資本の整備 ●地雷除去及び被災者支援
(2)今後の対カンボジア経済協力
日本の経済協力の目指すべき方向性は、●依然経済的困難に直面しつつも、復興に向け努力している同国への支援を継続 ●復興から成長への移行を視野に置きつつ、持続的経済成長と貧困削減の両者にバランス
●無償資金協力と技術協力を中心に実施
また、重点分野/課題については、●持続的な経済成長と安定した社会の実現(諸改革支援、経済基礎インフラ、農村開発等貧困対策) ●社会的弱者支援(教育、医療分野等)
●グローバルイシューへの対応(環境保全、薬物対策等)
●ASEAN諸国との格差是正(含むメコン地域開発)
以上が、対カンボジア国別援助計画の要旨である。
4. まとめ
対カンボジアODA政策は、日本の3つの指針と、カンボジア側の2つ指針を柱に、作成されている。そのためこれらは、緻密に構成されており、2国間の現在社会の状況を的確に表していると、私は感じた。さらに、具体的な指標の明確にされ、実施に対しての透明性が高いことには、とても驚いた。
援助の内容は、カンボジアが内戦終結後の復興段階であるため、無償資金協力・技術協力による、法規制定、インフラ整備、基礎的な人材育成がほとんどである。今後もこれらを強化すべきである。一方、有償資金協力は少ない。しかしカンボジア経済も順調に成長しつつあり、有償資金協力を増やしていくことが日本の自助の理念に沿うのではないだろうか。
さらに、援助の方法であるが、カンボジア国内の治安上等の問題から、日本の援助は都市部に集中していた。でも、治安が改善されつつある。そこで、所得格差問題が大きくなりつつある現状を是正するために、ODA政策の積極的な農村部への展開を検討すべきである。なぜなら注意すべき事案がある。それは隣国タイの2006年夏のクーデターで、その原因の1つとして、都市部と農村部の格差の拡大がある。少数派の中間層と大多数の低所得者層とに政権支持層が分離し、選挙の「数の原理」では勝てないため、最終的に軍部が介入してしまったのである。カンボジアで、このような事態を引き起こさないためにも、今後、人材育成を中心として、格差是正を図るべきである。
援助全般について、日本は今後ともカンボジア支援を強化すべきだと、私は考える。なぜなら、カンボジアの経済発展によって、日本経済に良い影響を与えることは、確実だからだ。また支援によって、紛争終結国が自立的で持続可能な発展を遂げる国になったならば、「モデルケース」となり、ひいては日本の国際評価が高まるのではないだろうか。
世間にはODA批判が多く存在する。だが今回、これを作成してみて、私は「これ程適切に税金が使用されている政策はないのでは」と思う程であった。目標、体制、過程、結果、効果、今後の課題が具体的に示され、確実にカンボジアの発展の基礎となっているものであると強く感じた。
次回のレポート内容は、対カンボジアODA政策の具体的な検証を行う。
図2 対カンボジア援助の推移 (支出純額ベース、単位:百万ドル)
ドルベースであるため、為替変動による支出変化に注意が必要
第2作 「~日本の対カンボジア経済政策~対カンボジアODA政策第2部」
1. はじめに
平成19年6月13日水曜日から4日間の日程で、カンボジアのフン・セン首相が来日した。滞在中、天皇陛下による御引見や、安倍総理との初会談などが予定されている。今回の来日の目的は、日本とカンボジアとの親善関係を一段と深めるためのものである。両国間の良好な関係が築かれている背景には、日本の対カンボジア政策によるものが大きい。そのことにより日本は、カンボジア社会の発展にとって、重要なドナーとなっている。では、どのような過程を経て、日本の政策は成果を上げていったのだろうか。そこで、前回の対カンボジアODA政策の続きとして、第2回目では、日本の対カンボジアODA政策の具体例を取り上げる。
2. 対カンボジアODAの概要
第1回目では、日本の対カンボジアODA政策の概要を述べた。日本は、カンボジアのトップドナーであった。2005年度のカンボジアに対する円借款は3.18億円、無償資金協力は69.09億円、技術協力は45.93億円であり、2005年度までの援助実績は、円借款133.19億円、無償資金協力1,090.67億円、技術協力392.48億円であった。また、日本の対カンボジアODA政策は、両国の国家基本政策(重点分野:貧困対策と経済成長)を踏襲した上で、策定されていた。
図1 対カンボジアの援助推移 (支出純額ベース、単位:百万ドル)
3. 具体例:運輸分野協力
政策を検証し、教訓・提言を得ることは、今後、より効果的・効率的な政策を策定することにつながる。ここでは、「対カンボジア運輸分野協力評価(評価者:アジア経済研究所など)2003年」を通して、支援の実施効果や、今後の支援のあり方を示した例を取り上げる。
3-1. 概要
カンボジアの運輸インフラの中で、道路交通は旅客輸送の65%、貨物輸送の70%を占めている。カンボジアの道路網は主要国道(総延長:約2,000km)、一般国道(総延長:約2,180km)、州道(総延長:約3,560km)、地方道(総延長:約26,000km)からなっている。その内、2路線(延長1,337km)がアジアハイウェイ路線となっているが、2000年までは河川フェリーで結ばれている区間が2カ所(2.2km)あった。
3-2. 道路・橋梁分野への協力実績
1992年以降、日本の対カンボジアの道路・橋梁分野での協力事業は、1970年から20年あまり続いた内戦・抗争による維持管理の欠如や戦闘による破壊のために壊滅的な状況にあった道路網(主要国道)の復旧・改修であった。また、70年代以降の国内紛争、75年~79年のポル・ポト時代の特異な政治により、司法・行政機能が基本的な機能を失うまでに打撃を受けていた中で、道路・橋梁の修復・維持管理を担当する公共事業運輸省に対しての人材育成のための技術協力が並行して実施された。
図2 対カンボジア運輸分野協力 事業
3-3. 実施効果
(1)移動時間・費用の変化
プノンペン-コンポンチャム間の移動時間は約6時間から約2時間に減少し、行き先で仕事をしても、日帰りで十分に往復できるようになった。プノンペン-コンポンチャム間のバス運賃が$7.4-9.3から$1.8に下がった。移動・輸送費用については、全整備区間で、旅行者一人当たりの時間コスト($0.35/時間)が移動時間の短縮に伴い節減され、1台当たりの車輌運行コストが30%~40%節約されたと推計されている。
(2)道路・橋梁の復旧・改修による交通量の変化
事業実施後、交通量(特に大型車)が増加し、長距離輸送・移動の増加・効率化に寄与したと推定されている。
3-4. 地方経済・社会開発への寄与
プノンペン-コンポンチャム間で、縫製工場2社、多数のゴム加工工場の他、木材製材工場等の誘致により、17,000人(2000年での全国失業者数の12%に相当)以上の雇用機会が創出された。このほか、沿道住民の所得・生活、沿道の商店の数、沿道の農業生産、沿道の土地資産価値などに関して、絶大なインパクトを沿道地方の経済・社会に与えたと評価されている。また、技術協力による研修員制度によって、日本への受け入れが行われた。その元研修員に対するアンケート調査では、内容に満足した者は93%で、自分の仕事に活用できたとする者が85%であった。
3-5. マクロ経済への寄与
1987年から1995-99年の間で、道路交通については人の移動が1.46倍に、4,600万人トン・キロ増加し、貨物輸送は6.14倍に、2億3,000万トン・キロ増加した。また、道路貨物輸送の増加した年は、それぞれチュルイチョンバー橋・6A号線の復旧、6号・7号線修復の完成時期にあたり、事業実施がこの増加に寄与した可能性が高いと推定される。また、1994年・95年の輸出額増加の一部を支えたのは材木・ゴムの輸出で、事業実施はこれらの品目の輸出を支えた可能性が高い。
3-6. 負のインパクト
(1)交通量増加・走行速度上昇に伴う交通事故の増加
(2)大型車増加に伴う過積載車による道路・橋梁への損傷
3-7. 教訓と提言
(1)維持管理財源確保のための制度整備
道路維持管理の実施はそのための予算措置しだいである。カンボジア政府・公共事業運輸省は、車両登録税、通行料金、国境通行税、燃料税等の徴収をして道路・橋梁の維持管理に充てることを計画し、独自財源確保への取り組みを始めている。日本の定期的な保有登録・車検制度などが、カンボジアでの制度整備・運営に生かすことができると考えられる。
(2)日常点検・清掃・早めの修繕の実施
維持管理のために、人材育成・職員の配置をすべきである。
(3)マスタープラン
優先度・整備レベルは地方の社会経済開発の方向性により異なる。援助資源の最適配分のために、全国的な視野に立った道路整備に関するマスタープランが必要である。
以上が、「対カンボジア運輸分野協力評価」である。
4. まとめ
上記の同様に、他のODA事業評価においても、カンボジアにおける日本の事業は、上位計画やニーズと整合が取れていた。また、目的とそのプロセスは、政府から技術員に至まで連携・調整されたものであり、適切な方向性を持って行われていた。さらに、事業の達成度・インパクトにおいても、高い評価がなされている。
5. 対カンボジアODAのあるべき姿
カンボジアは、現在、紛争後の復興期にあたる。そのため、社会インフラ整備・法整備・政府機関整備などの社会の基本的な要素の整備がとても重要であり、それを実行するノウハウを他国に対して求めている。社会を継続的に発展させるためには、社会基盤と人材育成の2つの柱が必要である。この2つの重要性を踏まえたものが、日本のODA政策の特徴でもある。この日本の政策効果は、カンボジアでは目に見えて、素晴らしい効果をあげており、経済成長を力強く支えている。
現在も、新橋梁建設など数多くの事業が進行中である。大林組、鴻池組、梓設計などの日本のゼネコン・設計事務所が、現地で活動している。以前、前田建設による国道3 号線上のスラコウ橋の架け替え工事を見たとき、私は、橋の美しさに惹かれた。そして、メコン川の勢いで流されないようための、日本の高度な技術で建設しており、いい物を造ろうという姿勢に、私は感銘した。また、プノンペンのチュルイ・チョンバー橋は「日本橋」の愛称で親しまれており、メコン架構橋「きずな橋」は、500リエル紙幣に刷り込まれた。「きずな橋」はカンボジア一の長さをほこる橋で、車での走り具合も最高の出来であった。このように、日本のODA政策は、確実にカンボジアの基礎を築いているものであると実感した。
しかし、政策効果の不十分な点や、新たな課題などが、多く存在する。それらを、経済成長のみの視点で捉え解決しようとすることは、危険である。なぜなら、その背景には、貧困問題や地方格差の問題が横たわっていることが多いからである。ODAは、その国の本質を捉えた政策でなければならい。
図3 500リエル紙幣(きずな橋)
図4 きずな橋
平成19年6月13日水曜日から4日間の日程で、カンボジアのフン・セン首相が来日した。滞在中、天皇陛下による御引見や、安倍総理との初会談などが予定されている。今回の来日の目的は、日本とカンボジアとの親善関係を一段と深めるためのものである。両国間の良好な関係が築かれている背景には、日本の対カンボジア政策によるものが大きい。そのことにより日本は、カンボジア社会の発展にとって、重要なドナーとなっている。では、どのような過程を経て、日本の政策は成果を上げていったのだろうか。そこで、前回の対カンボジアODA政策の続きとして、第2回目では、日本の対カンボジアODA政策の具体例を取り上げる。
2. 対カンボジアODAの概要
第1回目では、日本の対カンボジアODA政策の概要を述べた。日本は、カンボジアのトップドナーであった。2005年度のカンボジアに対する円借款は3.18億円、無償資金協力は69.09億円、技術協力は45.93億円であり、2005年度までの援助実績は、円借款133.19億円、無償資金協力1,090.67億円、技術協力392.48億円であった。また、日本の対カンボジアODA政策は、両国の国家基本政策(重点分野:貧困対策と経済成長)を踏襲した上で、策定されていた。
図1 対カンボジアの援助推移 (支出純額ベース、単位:百万ドル)
3. 具体例:運輸分野協力
政策を検証し、教訓・提言を得ることは、今後、より効果的・効率的な政策を策定することにつながる。ここでは、「対カンボジア運輸分野協力評価(評価者:アジア経済研究所など)2003年」を通して、支援の実施効果や、今後の支援のあり方を示した例を取り上げる。
3-1. 概要
カンボジアの運輸インフラの中で、道路交通は旅客輸送の65%、貨物輸送の70%を占めている。カンボジアの道路網は主要国道(総延長:約2,000km)、一般国道(総延長:約2,180km)、州道(総延長:約3,560km)、地方道(総延長:約26,000km)からなっている。その内、2路線(延長1,337km)がアジアハイウェイ路線となっているが、2000年までは河川フェリーで結ばれている区間が2カ所(2.2km)あった。
3-2. 道路・橋梁分野への協力実績
1992年以降、日本の対カンボジアの道路・橋梁分野での協力事業は、1970年から20年あまり続いた内戦・抗争による維持管理の欠如や戦闘による破壊のために壊滅的な状況にあった道路網(主要国道)の復旧・改修であった。また、70年代以降の国内紛争、75年~79年のポル・ポト時代の特異な政治により、司法・行政機能が基本的な機能を失うまでに打撃を受けていた中で、道路・橋梁の修復・維持管理を担当する公共事業運輸省に対しての人材育成のための技術協力が並行して実施された。
図2 対カンボジア運輸分野協力 事業
3-3. 実施効果
(1)移動時間・費用の変化
プノンペン-コンポンチャム間の移動時間は約6時間から約2時間に減少し、行き先で仕事をしても、日帰りで十分に往復できるようになった。プノンペン-コンポンチャム間のバス運賃が$7.4-9.3から$1.8に下がった。移動・輸送費用については、全整備区間で、旅行者一人当たりの時間コスト($0.35/時間)が移動時間の短縮に伴い節減され、1台当たりの車輌運行コストが30%~40%節約されたと推計されている。
(2)道路・橋梁の復旧・改修による交通量の変化
事業実施後、交通量(特に大型車)が増加し、長距離輸送・移動の増加・効率化に寄与したと推定されている。
3-4. 地方経済・社会開発への寄与
プノンペン-コンポンチャム間で、縫製工場2社、多数のゴム加工工場の他、木材製材工場等の誘致により、17,000人(2000年での全国失業者数の12%に相当)以上の雇用機会が創出された。このほか、沿道住民の所得・生活、沿道の商店の数、沿道の農業生産、沿道の土地資産価値などに関して、絶大なインパクトを沿道地方の経済・社会に与えたと評価されている。また、技術協力による研修員制度によって、日本への受け入れが行われた。その元研修員に対するアンケート調査では、内容に満足した者は93%で、自分の仕事に活用できたとする者が85%であった。
3-5. マクロ経済への寄与
1987年から1995-99年の間で、道路交通については人の移動が1.46倍に、4,600万人トン・キロ増加し、貨物輸送は6.14倍に、2億3,000万トン・キロ増加した。また、道路貨物輸送の増加した年は、それぞれチュルイチョンバー橋・6A号線の復旧、6号・7号線修復の完成時期にあたり、事業実施がこの増加に寄与した可能性が高いと推定される。また、1994年・95年の輸出額増加の一部を支えたのは材木・ゴムの輸出で、事業実施はこれらの品目の輸出を支えた可能性が高い。
3-6. 負のインパクト
(1)交通量増加・走行速度上昇に伴う交通事故の増加
(2)大型車増加に伴う過積載車による道路・橋梁への損傷
3-7. 教訓と提言
(1)維持管理財源確保のための制度整備
道路維持管理の実施はそのための予算措置しだいである。カンボジア政府・公共事業運輸省は、車両登録税、通行料金、国境通行税、燃料税等の徴収をして道路・橋梁の維持管理に充てることを計画し、独自財源確保への取り組みを始めている。日本の定期的な保有登録・車検制度などが、カンボジアでの制度整備・運営に生かすことができると考えられる。
(2)日常点検・清掃・早めの修繕の実施
維持管理のために、人材育成・職員の配置をすべきである。
(3)マスタープラン
優先度・整備レベルは地方の社会経済開発の方向性により異なる。援助資源の最適配分のために、全国的な視野に立った道路整備に関するマスタープランが必要である。
以上が、「対カンボジア運輸分野協力評価」である。
4. まとめ
上記の同様に、他のODA事業評価においても、カンボジアにおける日本の事業は、上位計画やニーズと整合が取れていた。また、目的とそのプロセスは、政府から技術員に至まで連携・調整されたものであり、適切な方向性を持って行われていた。さらに、事業の達成度・インパクトにおいても、高い評価がなされている。
5. 対カンボジアODAのあるべき姿
カンボジアは、現在、紛争後の復興期にあたる。そのため、社会インフラ整備・法整備・政府機関整備などの社会の基本的な要素の整備がとても重要であり、それを実行するノウハウを他国に対して求めている。社会を継続的に発展させるためには、社会基盤と人材育成の2つの柱が必要である。この2つの重要性を踏まえたものが、日本のODA政策の特徴でもある。この日本の政策効果は、カンボジアでは目に見えて、素晴らしい効果をあげており、経済成長を力強く支えている。
現在も、新橋梁建設など数多くの事業が進行中である。大林組、鴻池組、梓設計などの日本のゼネコン・設計事務所が、現地で活動している。以前、前田建設による国道3 号線上のスラコウ橋の架け替え工事を見たとき、私は、橋の美しさに惹かれた。そして、メコン川の勢いで流されないようための、日本の高度な技術で建設しており、いい物を造ろうという姿勢に、私は感銘した。また、プノンペンのチュルイ・チョンバー橋は「日本橋」の愛称で親しまれており、メコン架構橋「きずな橋」は、500リエル紙幣に刷り込まれた。「きずな橋」はカンボジア一の長さをほこる橋で、車での走り具合も最高の出来であった。このように、日本のODA政策は、確実にカンボジアの基礎を築いているものであると実感した。
しかし、政策効果の不十分な点や、新たな課題などが、多く存在する。それらを、経済成長のみの視点で捉え解決しようとすることは、危険である。なぜなら、その背景には、貧困問題や地方格差の問題が横たわっていることが多いからである。ODAは、その国の本質を捉えた政策でなければならい。
図3 500リエル紙幣(きずな橋)
図4 きずな橋
第3作 「~対カンボジア経済政策~カンボジア経済と世界経済の統合」
1. はじめに
平成19年6月14日に「日・カンボジア投資協定」が締結された。これは、①日本とカンボジアとの間の投資を促進し、両国間の経済関係を強化すること。②カンボジアの海外直接投資(FDI)を誘致する形での経済発展を志向する成長戦略に貢献するものである。つまり、日本とカンボジアとの新たな関係を築く上での、足固めである。このように、両国の経済の結びつきは順調に密接度を高めている。だが、この成果の背景には、これまでの政策の積み重ねがある。以前、その一部の紹介として対カンボジアODAを紹介した。そこで第3回目として、ODA以外の政策とその効果による現況について取り上げる。ただ今回は、カンボジア経済に即した視点であるため、日本以外の国・組織についても触れている。
2. カンボジア経済の概要
1980年代半ばから、カンボジアは計画経済から市場経済、内向きから外向きの経済開発戦略、ソビエトブロックとの緊密な経済関係から世界・地域市場経済とのより緊密な関係へと経済移行に力を注いできた。1990年代と最近年における経済成長率の上昇は、経済的利益を明らかなものにしている。だが現在でも、カンボジアは東アジアの低所得経済であり、後発発展途上国(LDCs)である。
図1 カンボジア主要輸出品 2002年 (100ドル:成長率、%)
カンボジア経済は、徐々に世界経済へと統合されてきた。1999年ASEANに加盟し、2004年にWTOに加盟した。カンボジアは、天然資源開発に輸出主導かつFDI主導型の製造業を加えたASEANモデルに従っている。しかしそれらは、製造業品を輸出する能力を開発する初期段階にあり、衣服や履物といった労働集約的な製品を主に製造している。国内経済改革は、市場アクセス、投資、技術的資源そして開発援助の提供を可能にする国際的かつ地域的な環境作りを必要としている。1990年から2003年までの年平均GDP成長率は6.6%であり、推定された1人当たりGDPは、2001年までにカンボジアが1124ドルに達した。
3. 貿易と投資からのカンボジア経済
3-1. 最恵国待遇(MFN)、特恵と繊維・衣服貿易
WTO加盟は、カンボジアにとって大きな利益をもたらすことが期待される。第一は、最恵国待遇による市場アクセスである。非加盟国であると、さまざまな市場におけて輸出品に対して差別的な取り扱いを受ける。第二に、自らの貿易利益を守るためにWTOの紛争処理メカニズムに訴えることが可能になる。第三に、WTO加盟によってカンボジアは、法的枠組みとなる規則の透明性、ならびに行政、貿易、投資、国有企業を統治する規則とその実施の改善を余儀なくされる。これは、ビジネス上の取引費用を引き下げ、これらの経済の生産性を高めるのに役に立つ。
カンボジアは、後発発展途上国(LDCs)に適応されるWTOの途上国に対する特別かつ異なる待遇(S&D)によって顕在的、潜在的な利益を受けた。これらの特別条項とは、WTO協定上の義務の軽減、WTOへのコミットメントを実施する上でより長い調整・移行期間の設置、そしてWTO関係へのインフラの構築、紛争処理、技術的水準の導入である。
一般特恵制度(GSP)は、発展途上国向けの主要な特恵制度である。先進国は、途上国で作られた製品に対して一方的で非互恵的な優遇措置(輸入品に対して、ゼロ関税や最恵国税率よりも低い関税率をかすなど)を与えている。日本のGSPは、ほとんどの工業品に対して無税での参入を提供し、いくつかの工業品、農業品、水産品、に対しては関税率を下げている。2000年に、日本はLDCに対して無税・無制限で輸入される新しい製品リストを追加した。
途上国からの主要輸出品である繊維・衣類の輸出成長の見通しは、多国間繊維取り決め(MFA)によって20年(1974-1994)にわたり抑制されてきた。この下で先進輸入国は、二国間協定を通じて途上国に対して国別の輸出割合を実施した。1995年には、WTO繊維・衣類協定(ATC)がMFAに取って代われた。ATCは国内市場において繊維・衣類への貿易障壁を削減するようにWTO加盟国に要求し、割当の迂回に対しては抗議行動を起こすことを許可した。
ATC後の世界のあり方について、3つの心配事が残されている。第一は、先進国が繊維・衣類の輸入に対して一層予防的保護措置を作動させ得るので、割当廃止による自由化の効果を無効にさせる可能性がある。第二は、割当廃止は、発展途上国間での活動の場を同じレベルにし、以前の割当の配分によって守られていた優遇された供給者やコスト高の供給者に対して罰則を科すことになる。第三は、中国からの輸出の急速な成長に対する懸念である。
3-2. FDI依存と統合
これまで、カンボジアのFDI受入額はかなり少なかった。1980年代の終わりになってFDIを開放し、その額は年々増加した。だが、アジア金融危機の後遺症は、FDI流入額の急激な低下をまねいた。FDIの流入額・粗投資比率によって測られるFDI依存率は、高く、上昇傾向である。FDI残高比率は、FDIの歴史が比較的最近であるにもかかわらず、高い。
カンボジアは、海洋資源と同様に、林業と貴金属といった天然資源部門に関してFDIを導入した。農業部門においては、受入国政府が農地の外国人所有を制限しているために、大きなFDIはほとんど生じていない。そのような制限は地方の農家を保護しているとしても、農業技術の導入や規模の経済の利用を妨げている。製造業においては、輸出産業へのFDI、そして世界的、地域的生産ネットワークとサプライチェーンへの繋がりを求めている。しかしながら、豊富な低賃金労働者がいる一方で、熟練や部品供給者の不足、輸送や物流における非効率性といった問題が残されている。
FDIの今後の見通しには、2つの要因が影響を与えている。第一は、FDIに対する中国からの競争に直面していることである。このために、FDIに対する政策上の障壁の撤廃、プロジェクトの承認手続きや透明性、財産権、物的インフラと熟練して人的資源の確立・向上などを通じて投資環境の改善を継続していかなければならない。また、単一な市場と生産ネットワークの確立に向けてASEANの経済統合急がなければならない。第二は、ポストACTの世界において、繊維・衣類部門にFDIを誘引する競争力を失うかもしれないということである。
図2 カンボジアのFDI
4. まとめ
カンボジア経済は、低所得・後発途上経済であるがゆえに、依然としていくつも開発の課題に直面している。つまり、社会的平等と環境維持とともに、経済成長を追及する必要がある。経済効率と貧困軽減のために、人材を育成しなければならない。そして、経済効率と競争力を改善して、ASEAN加盟国としての義務をはたすために、経済を自由化し、規制緩和を推進するべきである。
5. 感想
カンボジアの輸出は急速に成長し、一次産品の輸出国から衣類の輸出国へと転換した。(労働者の給料は、トゥルーコークの中国系資本アパレル工場で、夜10時~朝5時まで月~土で月40ドルしかない。)しかしこの状況が長期的な経済発展と結びつくかどうかには、疑問があると思う。これまで一次産品の輸出として、木材も主要な輸出品としてきたが、今後、環境の観点から見て持続可能ではないと考えられる。だが、カンボジアには、アンコールワットがある。観光名所への直行便の増発や交通サービスの発展と観光事業の促進に向けてより効果的な地域協力を確立することにおって、さらなる観光事業の成長があるのではいだろうか。ただ残念なことに、日本にとってカンボジアはまだ小さな市場である。日本・カンボジアの企業による現地での合弁企業は、昨年はたった2件しかない。その一方、中国・韓国はカンボジアに多くの投資を行っている。両国の成果も徐々に出てきている。カンボジアは今後、確実に成長する市場であり、この時期に投資をすることは長期的に大きな結果に結びつくと思う。私は、日本は一歩出遅れているのではないかと、危惧している。
また今後のカンボジアにおいては、「大メコン河流域圏(GMS)プログラム」やASEANと一体となった、経済的視点が必要となってくる。これらは、もう既に、物的・資金的・人材的・環境などの様々分野で、国境を越えた取り組みが行われている。日本もちらの方に重心を移していくべきである。
また、来年からは、カンボジアでボーキサイトや石油の発掘がはじまる。石油については、カンボジア政府はすでに韓国LG商社、米国シェブロン、三井物産、中国・香港保利達集団、カンボジア・中国の合弁会社、中国海洋石油などに権利を譲渡している。世界銀行のカンボジア経済関連報告書によると「カンボジアは毎年20億ドルの外貨収入を得ることができ、GDPが今の2倍になって新興発展途上国に入ることができる」としている。以上のように、今後、カンボジア経済と世界経済の統合は進んでいくのではないかと思われる。
参考文献:「開発のための政策一貫性」、河合正弘、明石書店
平成19年6月14日に「日・カンボジア投資協定」が締結された。これは、①日本とカンボジアとの間の投資を促進し、両国間の経済関係を強化すること。②カンボジアの海外直接投資(FDI)を誘致する形での経済発展を志向する成長戦略に貢献するものである。つまり、日本とカンボジアとの新たな関係を築く上での、足固めである。このように、両国の経済の結びつきは順調に密接度を高めている。だが、この成果の背景には、これまでの政策の積み重ねがある。以前、その一部の紹介として対カンボジアODAを紹介した。そこで第3回目として、ODA以外の政策とその効果による現況について取り上げる。ただ今回は、カンボジア経済に即した視点であるため、日本以外の国・組織についても触れている。
2. カンボジア経済の概要
1980年代半ばから、カンボジアは計画経済から市場経済、内向きから外向きの経済開発戦略、ソビエトブロックとの緊密な経済関係から世界・地域市場経済とのより緊密な関係へと経済移行に力を注いできた。1990年代と最近年における経済成長率の上昇は、経済的利益を明らかなものにしている。だが現在でも、カンボジアは東アジアの低所得経済であり、後発発展途上国(LDCs)である。
図1 カンボジア主要輸出品 2002年 (100ドル:成長率、%)
カンボジア経済は、徐々に世界経済へと統合されてきた。1999年ASEANに加盟し、2004年にWTOに加盟した。カンボジアは、天然資源開発に輸出主導かつFDI主導型の製造業を加えたASEANモデルに従っている。しかしそれらは、製造業品を輸出する能力を開発する初期段階にあり、衣服や履物といった労働集約的な製品を主に製造している。国内経済改革は、市場アクセス、投資、技術的資源そして開発援助の提供を可能にする国際的かつ地域的な環境作りを必要としている。1990年から2003年までの年平均GDP成長率は6.6%であり、推定された1人当たりGDPは、2001年までにカンボジアが1124ドルに達した。
3. 貿易と投資からのカンボジア経済
3-1. 最恵国待遇(MFN)、特恵と繊維・衣服貿易
WTO加盟は、カンボジアにとって大きな利益をもたらすことが期待される。第一は、最恵国待遇による市場アクセスである。非加盟国であると、さまざまな市場におけて輸出品に対して差別的な取り扱いを受ける。第二に、自らの貿易利益を守るためにWTOの紛争処理メカニズムに訴えることが可能になる。第三に、WTO加盟によってカンボジアは、法的枠組みとなる規則の透明性、ならびに行政、貿易、投資、国有企業を統治する規則とその実施の改善を余儀なくされる。これは、ビジネス上の取引費用を引き下げ、これらの経済の生産性を高めるのに役に立つ。
カンボジアは、後発発展途上国(LDCs)に適応されるWTOの途上国に対する特別かつ異なる待遇(S&D)によって顕在的、潜在的な利益を受けた。これらの特別条項とは、WTO協定上の義務の軽減、WTOへのコミットメントを実施する上でより長い調整・移行期間の設置、そしてWTO関係へのインフラの構築、紛争処理、技術的水準の導入である。
一般特恵制度(GSP)は、発展途上国向けの主要な特恵制度である。先進国は、途上国で作られた製品に対して一方的で非互恵的な優遇措置(輸入品に対して、ゼロ関税や最恵国税率よりも低い関税率をかすなど)を与えている。日本のGSPは、ほとんどの工業品に対して無税での参入を提供し、いくつかの工業品、農業品、水産品、に対しては関税率を下げている。2000年に、日本はLDCに対して無税・無制限で輸入される新しい製品リストを追加した。
途上国からの主要輸出品である繊維・衣類の輸出成長の見通しは、多国間繊維取り決め(MFA)によって20年(1974-1994)にわたり抑制されてきた。この下で先進輸入国は、二国間協定を通じて途上国に対して国別の輸出割合を実施した。1995年には、WTO繊維・衣類協定(ATC)がMFAに取って代われた。ATCは国内市場において繊維・衣類への貿易障壁を削減するようにWTO加盟国に要求し、割当の迂回に対しては抗議行動を起こすことを許可した。
ATC後の世界のあり方について、3つの心配事が残されている。第一は、先進国が繊維・衣類の輸入に対して一層予防的保護措置を作動させ得るので、割当廃止による自由化の効果を無効にさせる可能性がある。第二は、割当廃止は、発展途上国間での活動の場を同じレベルにし、以前の割当の配分によって守られていた優遇された供給者やコスト高の供給者に対して罰則を科すことになる。第三は、中国からの輸出の急速な成長に対する懸念である。
3-2. FDI依存と統合
これまで、カンボジアのFDI受入額はかなり少なかった。1980年代の終わりになってFDIを開放し、その額は年々増加した。だが、アジア金融危機の後遺症は、FDI流入額の急激な低下をまねいた。FDIの流入額・粗投資比率によって測られるFDI依存率は、高く、上昇傾向である。FDI残高比率は、FDIの歴史が比較的最近であるにもかかわらず、高い。
カンボジアは、海洋資源と同様に、林業と貴金属といった天然資源部門に関してFDIを導入した。農業部門においては、受入国政府が農地の外国人所有を制限しているために、大きなFDIはほとんど生じていない。そのような制限は地方の農家を保護しているとしても、農業技術の導入や規模の経済の利用を妨げている。製造業においては、輸出産業へのFDI、そして世界的、地域的生産ネットワークとサプライチェーンへの繋がりを求めている。しかしながら、豊富な低賃金労働者がいる一方で、熟練や部品供給者の不足、輸送や物流における非効率性といった問題が残されている。
FDIの今後の見通しには、2つの要因が影響を与えている。第一は、FDIに対する中国からの競争に直面していることである。このために、FDIに対する政策上の障壁の撤廃、プロジェクトの承認手続きや透明性、財産権、物的インフラと熟練して人的資源の確立・向上などを通じて投資環境の改善を継続していかなければならない。また、単一な市場と生産ネットワークの確立に向けてASEANの経済統合急がなければならない。第二は、ポストACTの世界において、繊維・衣類部門にFDIを誘引する競争力を失うかもしれないということである。
図2 カンボジアのFDI
4. まとめ
カンボジア経済は、低所得・後発途上経済であるがゆえに、依然としていくつも開発の課題に直面している。つまり、社会的平等と環境維持とともに、経済成長を追及する必要がある。経済効率と貧困軽減のために、人材を育成しなければならない。そして、経済効率と競争力を改善して、ASEAN加盟国としての義務をはたすために、経済を自由化し、規制緩和を推進するべきである。
5. 感想
カンボジアの輸出は急速に成長し、一次産品の輸出国から衣類の輸出国へと転換した。(労働者の給料は、トゥルーコークの中国系資本アパレル工場で、夜10時~朝5時まで月~土で月40ドルしかない。)しかしこの状況が長期的な経済発展と結びつくかどうかには、疑問があると思う。これまで一次産品の輸出として、木材も主要な輸出品としてきたが、今後、環境の観点から見て持続可能ではないと考えられる。だが、カンボジアには、アンコールワットがある。観光名所への直行便の増発や交通サービスの発展と観光事業の促進に向けてより効果的な地域協力を確立することにおって、さらなる観光事業の成長があるのではいだろうか。ただ残念なことに、日本にとってカンボジアはまだ小さな市場である。日本・カンボジアの企業による現地での合弁企業は、昨年はたった2件しかない。その一方、中国・韓国はカンボジアに多くの投資を行っている。両国の成果も徐々に出てきている。カンボジアは今後、確実に成長する市場であり、この時期に投資をすることは長期的に大きな結果に結びつくと思う。私は、日本は一歩出遅れているのではないかと、危惧している。
また今後のカンボジアにおいては、「大メコン河流域圏(GMS)プログラム」やASEANと一体となった、経済的視点が必要となってくる。これらは、もう既に、物的・資金的・人材的・環境などの様々分野で、国境を越えた取り組みが行われている。日本もちらの方に重心を移していくべきである。
また、来年からは、カンボジアでボーキサイトや石油の発掘がはじまる。石油については、カンボジア政府はすでに韓国LG商社、米国シェブロン、三井物産、中国・香港保利達集団、カンボジア・中国の合弁会社、中国海洋石油などに権利を譲渡している。世界銀行のカンボジア経済関連報告書によると「カンボジアは毎年20億ドルの外貨収入を得ることができ、GDPが今の2倍になって新興発展途上国に入ることができる」としている。以上のように、今後、カンボジア経済と世界経済の統合は進んでいくのではないかと思われる。
参考文献:「開発のための政策一貫性」、河合正弘、明石書店
第4作 「~対カンボジア経済政策~アジア開発銀行の理念とその成果」
1. はじめに
平成19年10月15日東京、福田康夫総理とヘン・サムリン・カンボジア国民議会議長との会談が、行われた。その概要は①貧困削減と成長の為の10億円の円借款供与、②第二メコン架橋建設を迅速に推進、③日本企業の投資促進の為の環境整備、④日本のカンボジアに対する政治解決への参画、クメール・ルージュ裁判など援助供与についての謝意、であった。この様に、日本とカンボジアの関係は、ドナーからパートナーへと、その重心を徐々に移行する動向が見られるように変化してきている。だがこの背後に、カンボジアの政治の安定と、順調な経済発展が隠されている。一連のレポートでは、和平条約締結から現状に至るまでの過程で、世間にはあまり知られることのない、日本(人)の多大なる努力を明確化することに力点を置いてきた。そこで最終回は、アジア開発銀行(以下、ADB)の対カンボジア援助政策について検証を試みる。
2. ADBとカンボジア
ADBは、アジア・太平洋地域の貧困を削減し、生活水準の向上を目的として、1966年に設立された国際開発金融機関である。業務内容は、資金貸付、技術援助などである。日本は設立当初から最大の出資国で、歴代の総裁はすべて日本人である。ADBの長期業務戦略:①貧困層重視と持続的な経済成長、②包括的な社会開発、③グッドガバナンスを重点戦略
ADBの援助は、1966年以来の累計(2007年時点)で、貸付31件912,240,000ドル、無償援助14件79,050,000ドル、技術援助9,138,000ドルであるが、その援助の大部分は、和平条約締結の1992年以後から供給されている。
表 1 2005年中の全プロジェクト
3. 貧困との戦い、成長促進(ADB 2005版報告書より)
3-1. 医療費と平均寿命
ADBは、「保健セクター支援」プロジェクトの下で20,000,000ドルの貸付を供与した。これは、公共医療施設の運営および改善を民間組織に委託する政府のプログラムに対しての貸付であり、その目的は、民間委託による人々の医療へのアクセスの拡大である。
カンボジア人の平均寿命は比較的短く、妊産婦死亡率及びHIV感染率が高い。だが、これまでの公共医療施設では、高額の費用を要求される為、利用者が少ないのが実状であった。これを大幅に改善するために、広範囲にわたる革新的な政策「保健セクター支援」プロジェクトを導入した。
この委託制度の下で、特に貧困層の間で公共サービスの利用が高まりつつある。いくつかのプロジェクト地区では、自己負担医療費の平均額が、1人当たり30 ドル以上も低下した。これらを委託されたNGOは、清潔な診療所、予測可能かつ職業的かつ丁重なサービス、そして治療の成功によって、人々を引きつけている。また、強制可能な契約、金銭上のインセンティブ、受益者負担金および達成可能な目標を用いてスタッフの意欲を高めている。この様に、全体的なサービスの質が改善し、特に、公務員による個人営業がなくなったことが効果として挙げられる。それは、政府診療所での給与は、月10~30ドルとあまりに低い、その為、医療スタッフは公然と保健センターの外でサービスを提供し、公式給与の10 倍の収入を得ていた問題が改善したことを示す。つまり、スタッフの給与が、時間の100%を公共システムに捧げてもよいと思う水準に引き上げられたのである。その一例として、医師と県の管理担当者の間で、給与は月120~180ドルとすることが合意されている。
3-2. 東南アジア最大の湖と周辺住民の生活
ADBは「トンレサップ・イニシアティブ」の下で、カンボジア政府に対し、カンボジアの大部分を支える豊富な天然資源を保護する計画の策定を支援している。これは、地方上下水道(18,000,000ドル)及びトンレサップ盆地の持続可能な生計(15,000,000ドル)の無償援助プロジェクトである。
古来より、住民は東南アジア最大の淡水湖の季節的な干満を掌握し、コメの生産量を最大化してきた。それは今日でも同様で、人々は、主食の稲作の過程で、モンスーン期に水田
写真1 トレンサップ湖での漁の風景(左)と水路(右)
に引く水をトンレサップ湖に依存している。また、漁業によって、主要蛋白源の供給を受けている。これらは、その土地、水および生物資源は、湖に隣接する州の人口の40%に直接的な便益を与え、それ以外の地域においても食料安全保障と雇用を支えている。また湖は、生物多様性の保全に関して世界的な重要性を有しているのである。
近年、漁業資源と野生生物の乱獲、浸水林の農地への転換、そして燃料のための木材採取によって、このバランスが危険にさらされている。流域における広汎な森林伐採によって動植物の生息地が破壊され、水質と土壌の質が悪化し、沈泥率が上昇している。
そこで政府は、1993年にトンレサップ湖を多用途保護地域に指定した。国連は1997 年にトンレサップ湖を生物圏保護区に認定した。2003年には、ADBが「トンレサップ盆地戦略」を完成させ、2005~09年の国別戦略・プログラムおよびその年次更新における地理的な重点を設定した。開発目的は、貧困層を重視した持続可能な成長、資産へのアクセスおよび天然資源管理・環境管理を助長・促進することである。
湖への脅威は盆地全体の視点から考慮しなければならないが、すべての問題を同時に解決することはできない。介入活動は8年をかけて湖の中核地域から上流の集水域に遡り、このサイクルを必要なだけ繰り返すことになっている。ここで得られる経験と教訓は、複雑な生態系の長期的な保全活動に取り入れていく予定である。
この様な経緯の基にADBは、イニシアティブの一環として、トンレサップ盆地近辺の100万人を超える住民に対する安全な飲料水の提供を承認した。この無償援助では、盆地に隣接する5州の約1,760村に上下水道施設を提供するプロジェクトに資金を提供する。また、約72万人の農村住民の衛生環境を改善し、コミュニティが施設に責任を持つように訓練し、保健衛生に関する意識調査を実施するものである。
4. ADBの問題点
カンボジア・トンレサップ湖の北端にあるチョンネア村の事例(IPS=カリンガ・セネヴィラトネ、2月3日付より)は、ADBの「トンレサップ・イニシアティブ」が必ずしも成功しているとは限らないことを示している。その問題は、商業主義的な漁業がのさばり、地元の漁民を駆逐していることである。1999年に、カンボジア政府が湖の一部を地元の漁業のための領域として指定し、2003年には、アジア開発銀行が、地元漁業支援のために997,000ドルを与えている。だが現実は、営利的な業者が地元の警官や準軍事組織と結託して、地元漁民を違法に追い出している。生活上の障害が発生している。
5. まとめ
経済成長の加速に対する障壁を取り除くために、ADBは基礎的なインフラを重要視していた。経済成長は、生計機会の貧困層への拡大を支援する相補的なサービスおよび活動と結びつく場合には、貧困削減努力における重要な要素となる。また、カンボジアは、まだ発揮されていない民間による大きな潜在力を有している。ADBは、開発事業において民間セクターの支援を引き出すことも重点テーマとしていた。また今後、改善すべき課題もあることが判明した。その問題の根本には、ADBの①影響を過小評価し、対策費用を最小化、②責任所在の不明確性、という体質があるのではないだろうか。
6. 感想
ADBは、貧困根絶、経済成長促進を基本理念としている。なので、今回はそれに即した案件を取り扱った。カンボジア人の平均年収は、300~400ドルである。それから考えると、自己負担医療費の平均額が、1人当たり30 ドル以上も低下したことは、とても大きな変化である。また、カンボジアにおいても環境的に持続可能な成長が、必要不可欠であると感じた。このイニシアティブで特徴的であると感じたのは、段階を追って実施される事と、貸付および無償援助の組合せによって盆地全体を対象とする総合的な問題解決アプローチを策定している点である。この理念は、日本への利益とつながる。
日本とカンボジアとの経済的なつながりは、これから構築されるであろう。冒頭のヘン・サムリンの来日は、来年の選挙を見越したアピールであることは、明白である。だが、彼が日本に来ることによって、選挙に有益性が生じると感じているのであれば、それは日本の政策の大きな成果ではないか。
私は、今後の両国の経済的発展、深厚な関係を期待する。
平成19年10月15日東京、福田康夫総理とヘン・サムリン・カンボジア国民議会議長との会談が、行われた。その概要は①貧困削減と成長の為の10億円の円借款供与、②第二メコン架橋建設を迅速に推進、③日本企業の投資促進の為の環境整備、④日本のカンボジアに対する政治解決への参画、クメール・ルージュ裁判など援助供与についての謝意、であった。この様に、日本とカンボジアの関係は、ドナーからパートナーへと、その重心を徐々に移行する動向が見られるように変化してきている。だがこの背後に、カンボジアの政治の安定と、順調な経済発展が隠されている。一連のレポートでは、和平条約締結から現状に至るまでの過程で、世間にはあまり知られることのない、日本(人)の多大なる努力を明確化することに力点を置いてきた。そこで最終回は、アジア開発銀行(以下、ADB)の対カンボジア援助政策について検証を試みる。
2. ADBとカンボジア
ADBは、アジア・太平洋地域の貧困を削減し、生活水準の向上を目的として、1966年に設立された国際開発金融機関である。業務内容は、資金貸付、技術援助などである。日本は設立当初から最大の出資国で、歴代の総裁はすべて日本人である。ADBの長期業務戦略:①貧困層重視と持続的な経済成長、②包括的な社会開発、③グッドガバナンスを重点戦略
ADBの援助は、1966年以来の累計(2007年時点)で、貸付31件912,240,000ドル、無償援助14件79,050,000ドル、技術援助9,138,000ドルであるが、その援助の大部分は、和平条約締結の1992年以後から供給されている。
表 1 2005年中の全プロジェクト
3. 貧困との戦い、成長促進(ADB 2005版報告書より)
3-1. 医療費と平均寿命
ADBは、「保健セクター支援」プロジェクトの下で20,000,000ドルの貸付を供与した。これは、公共医療施設の運営および改善を民間組織に委託する政府のプログラムに対しての貸付であり、その目的は、民間委託による人々の医療へのアクセスの拡大である。
カンボジア人の平均寿命は比較的短く、妊産婦死亡率及びHIV感染率が高い。だが、これまでの公共医療施設では、高額の費用を要求される為、利用者が少ないのが実状であった。これを大幅に改善するために、広範囲にわたる革新的な政策「保健セクター支援」プロジェクトを導入した。
この委託制度の下で、特に貧困層の間で公共サービスの利用が高まりつつある。いくつかのプロジェクト地区では、自己負担医療費の平均額が、1人当たり30 ドル以上も低下した。これらを委託されたNGOは、清潔な診療所、予測可能かつ職業的かつ丁重なサービス、そして治療の成功によって、人々を引きつけている。また、強制可能な契約、金銭上のインセンティブ、受益者負担金および達成可能な目標を用いてスタッフの意欲を高めている。この様に、全体的なサービスの質が改善し、特に、公務員による個人営業がなくなったことが効果として挙げられる。それは、政府診療所での給与は、月10~30ドルとあまりに低い、その為、医療スタッフは公然と保健センターの外でサービスを提供し、公式給与の10 倍の収入を得ていた問題が改善したことを示す。つまり、スタッフの給与が、時間の100%を公共システムに捧げてもよいと思う水準に引き上げられたのである。その一例として、医師と県の管理担当者の間で、給与は月120~180ドルとすることが合意されている。
3-2. 東南アジア最大の湖と周辺住民の生活
ADBは「トンレサップ・イニシアティブ」の下で、カンボジア政府に対し、カンボジアの大部分を支える豊富な天然資源を保護する計画の策定を支援している。これは、地方上下水道(18,000,000ドル)及びトンレサップ盆地の持続可能な生計(15,000,000ドル)の無償援助プロジェクトである。
古来より、住民は東南アジア最大の淡水湖の季節的な干満を掌握し、コメの生産量を最大化してきた。それは今日でも同様で、人々は、主食の稲作の過程で、モンスーン期に水田
写真1 トレンサップ湖での漁の風景(左)と水路(右)
に引く水をトンレサップ湖に依存している。また、漁業によって、主要蛋白源の供給を受けている。これらは、その土地、水および生物資源は、湖に隣接する州の人口の40%に直接的な便益を与え、それ以外の地域においても食料安全保障と雇用を支えている。また湖は、生物多様性の保全に関して世界的な重要性を有しているのである。
近年、漁業資源と野生生物の乱獲、浸水林の農地への転換、そして燃料のための木材採取によって、このバランスが危険にさらされている。流域における広汎な森林伐採によって動植物の生息地が破壊され、水質と土壌の質が悪化し、沈泥率が上昇している。
そこで政府は、1993年にトンレサップ湖を多用途保護地域に指定した。国連は1997 年にトンレサップ湖を生物圏保護区に認定した。2003年には、ADBが「トンレサップ盆地戦略」を完成させ、2005~09年の国別戦略・プログラムおよびその年次更新における地理的な重点を設定した。開発目的は、貧困層を重視した持続可能な成長、資産へのアクセスおよび天然資源管理・環境管理を助長・促進することである。
湖への脅威は盆地全体の視点から考慮しなければならないが、すべての問題を同時に解決することはできない。介入活動は8年をかけて湖の中核地域から上流の集水域に遡り、このサイクルを必要なだけ繰り返すことになっている。ここで得られる経験と教訓は、複雑な生態系の長期的な保全活動に取り入れていく予定である。
この様な経緯の基にADBは、イニシアティブの一環として、トンレサップ盆地近辺の100万人を超える住民に対する安全な飲料水の提供を承認した。この無償援助では、盆地に隣接する5州の約1,760村に上下水道施設を提供するプロジェクトに資金を提供する。また、約72万人の農村住民の衛生環境を改善し、コミュニティが施設に責任を持つように訓練し、保健衛生に関する意識調査を実施するものである。
4. ADBの問題点
カンボジア・トンレサップ湖の北端にあるチョンネア村の事例(IPS=カリンガ・セネヴィラトネ、2月3日付より)は、ADBの「トンレサップ・イニシアティブ」が必ずしも成功しているとは限らないことを示している。その問題は、商業主義的な漁業がのさばり、地元の漁民を駆逐していることである。1999年に、カンボジア政府が湖の一部を地元の漁業のための領域として指定し、2003年には、アジア開発銀行が、地元漁業支援のために997,000ドルを与えている。だが現実は、営利的な業者が地元の警官や準軍事組織と結託して、地元漁民を違法に追い出している。生活上の障害が発生している。
5. まとめ
経済成長の加速に対する障壁を取り除くために、ADBは基礎的なインフラを重要視していた。経済成長は、生計機会の貧困層への拡大を支援する相補的なサービスおよび活動と結びつく場合には、貧困削減努力における重要な要素となる。また、カンボジアは、まだ発揮されていない民間による大きな潜在力を有している。ADBは、開発事業において民間セクターの支援を引き出すことも重点テーマとしていた。また今後、改善すべき課題もあることが判明した。その問題の根本には、ADBの①影響を過小評価し、対策費用を最小化、②責任所在の不明確性、という体質があるのではないだろうか。
6. 感想
ADBは、貧困根絶、経済成長促進を基本理念としている。なので、今回はそれに即した案件を取り扱った。カンボジア人の平均年収は、300~400ドルである。それから考えると、自己負担医療費の平均額が、1人当たり30 ドル以上も低下したことは、とても大きな変化である。また、カンボジアにおいても環境的に持続可能な成長が、必要不可欠であると感じた。このイニシアティブで特徴的であると感じたのは、段階を追って実施される事と、貸付および無償援助の組合せによって盆地全体を対象とする総合的な問題解決アプローチを策定している点である。この理念は、日本への利益とつながる。
日本とカンボジアとの経済的なつながりは、これから構築されるであろう。冒頭のヘン・サムリンの来日は、来年の選挙を見越したアピールであることは、明白である。だが、彼が日本に来ることによって、選挙に有益性が生じると感じているのであれば、それは日本の政策の大きな成果ではないか。
私は、今後の両国の経済的発展、深厚な関係を期待する。
統括 「日本の対カンボジア経済政策」
1. はじめに
私にとって、カンボジアは距離的にはとても遠い国であるが、カンボジア人は心理的には同心である。その本当の理由は、教えられないので、ここでは日本の対カンボジア経済政策について取り扱う。平成19年6月14日に「日・カンボジア投資協定」が締結され、両国の経済の結びつきは順調に密接度を高めている。だが、この関係に至るまでには、1991年の「パリ和平協定」から現在までの間に、日本の援助による多大なる費用と労力が費やされていることを忘れてはならない。4連のレポートは、すべて共通した目的の上に作成した。それは、「将来のカンボジア経済の可能性について探る」ことである。つまりこれは、カンボジアの経済成長が日本経済にとって有益であるという前提をもとに、今後、尚一層の経済成長を促進するための方策を探り、その効果的、実行的に運用を行い、最終的に日本に利益還元を行うためのものである。
2. カンボジアの現実
経済発展の起点は、1991年の和平協定である。その後、平和と安全を保証、国家の再建、安定したマクロ経済環境の確立、そして資本主義の投資体制により、順調に経済は発展し続けている。だが、LDC(後発発展途上国)であるカンボジアは、貧困率34.7%と高く、その91%が農村部に集中している。また、実質GDP成長率8.4%、平均インフレ率5.8%、貿易収支(単位:百万ドル):1,033.5、海外直接投資FDI(単位:百万ドル):216.0であるが、輸出産業の大部分が、将来不安定になることが予想されている繊維産業であり、その次としては、基盤の弱い観光産業である。カンボジア政府は、カンボジアミレニアム開発目標(CMDGs)、四辺形戦略を策定し、貧困根絶と経済発展を推進している。
3. 日本の援助とカンボジア
国際援助は、2国間援助と多国間援助に大別される。日本の対カンボジア2国間援助の場合、日本は最大の支援国である。対カンボジア(1991年~2003 年)の援助資金供与の内、日本は総額の21.2%を占めている。日本の援助の特徴は、無償資金協力と技術協力に力点を置き、復興を全面的に支援していることである。一方、多国間援助では、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)などによって、行われてきた。これらの資金の多くも日本が出資しており、その発言権も大きい。これらの両者の援助過程は、適切な管理の下に実行され、目に見える形、つまり物体、人材において大きな成果を挙げている。
4. 成功の理由
対カンボジア政策が成功している理由は、実行機関自体の調査、計画、実施、結果、評価の過程が徹底している事と、第3者による計画と結果の評価を、次回の案件に活かしていることにある。また、計画においては、相手国であるカンボジア政府の政策を基準とした、適地適策を図る努力が常行している点も挙げられる。つまりこれらは、その対象者である住民の実態を正確に把握し、それに対して的確な成果が得られる方策を現地の人間と議論しながら決定し、運用している。
5. カンボジアの開発展望
カンボジアは、2007-2008にかけて、成長拡大が若干減速すると見込まれるものの、依然として成長は目覚ましいと予測されている。今後、カンボジアに必要な要素は、(1)長期間の投資による、幅広い経済活動の拡充・向上、(2)経済規模を決定するインフラ・サービス、(3)目的意識の明確な教育、(4)社会保障を備えた労働環境や柔軟性のある労働市場、(5)リスク軽減による、企業の新規参入を促す環境整備、(6)「大メコン河流域圏(GMS)プログラム」、である。これらを、過去の成功例から手法を学び、応用させるべきである。そして、持続的にFDIを受入れ、経済を発展させるべきだ。
図1 FDI流入額
6. 感想
2007年5月、FNNが、日本のODAによって2006年3月に建設された上水道施設の転売計画をすっぱ抜いた。この背景には、カンボジア大物政治家と韓国企業「KTC」の利権関係が見え隠れする。だがこの問題の大元には、中国による世界資源争奪があり、その影響がいたる所にでてきていることを示している。カンボジア政府も中国との関係を深めつつある。だが、日本は過去の実績を持っており、それを最大限に活用し、カンボジア経済を主導し、発展させていくべきである。日本政府は、国際援助は外交手段であると認識を改めるべきである。私は、日本とカンボジアが地域及び国際社会の安定と繁栄に向けて協力する唯一のパートナーになる事を望む。
私にとって、カンボジアは距離的にはとても遠い国であるが、カンボジア人は心理的には同心である。その本当の理由は、教えられないので、ここでは日本の対カンボジア経済政策について取り扱う。平成19年6月14日に「日・カンボジア投資協定」が締結され、両国の経済の結びつきは順調に密接度を高めている。だが、この関係に至るまでには、1991年の「パリ和平協定」から現在までの間に、日本の援助による多大なる費用と労力が費やされていることを忘れてはならない。4連のレポートは、すべて共通した目的の上に作成した。それは、「将来のカンボジア経済の可能性について探る」ことである。つまりこれは、カンボジアの経済成長が日本経済にとって有益であるという前提をもとに、今後、尚一層の経済成長を促進するための方策を探り、その効果的、実行的に運用を行い、最終的に日本に利益還元を行うためのものである。
2. カンボジアの現実
経済発展の起点は、1991年の和平協定である。その後、平和と安全を保証、国家の再建、安定したマクロ経済環境の確立、そして資本主義の投資体制により、順調に経済は発展し続けている。だが、LDC(後発発展途上国)であるカンボジアは、貧困率34.7%と高く、その91%が農村部に集中している。また、実質GDP成長率8.4%、平均インフレ率5.8%、貿易収支(単位:百万ドル):1,033.5、海外直接投資FDI(単位:百万ドル):216.0であるが、輸出産業の大部分が、将来不安定になることが予想されている繊維産業であり、その次としては、基盤の弱い観光産業である。カンボジア政府は、カンボジアミレニアム開発目標(CMDGs)、四辺形戦略を策定し、貧困根絶と経済発展を推進している。
3. 日本の援助とカンボジア
国際援助は、2国間援助と多国間援助に大別される。日本の対カンボジア2国間援助の場合、日本は最大の支援国である。対カンボジア(1991年~2003 年)の援助資金供与の内、日本は総額の21.2%を占めている。日本の援助の特徴は、無償資金協力と技術協力に力点を置き、復興を全面的に支援していることである。一方、多国間援助では、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)などによって、行われてきた。これらの資金の多くも日本が出資しており、その発言権も大きい。これらの両者の援助過程は、適切な管理の下に実行され、目に見える形、つまり物体、人材において大きな成果を挙げている。
4. 成功の理由
対カンボジア政策が成功している理由は、実行機関自体の調査、計画、実施、結果、評価の過程が徹底している事と、第3者による計画と結果の評価を、次回の案件に活かしていることにある。また、計画においては、相手国であるカンボジア政府の政策を基準とした、適地適策を図る努力が常行している点も挙げられる。つまりこれらは、その対象者である住民の実態を正確に把握し、それに対して的確な成果が得られる方策を現地の人間と議論しながら決定し、運用している。
5. カンボジアの開発展望
カンボジアは、2007-2008にかけて、成長拡大が若干減速すると見込まれるものの、依然として成長は目覚ましいと予測されている。今後、カンボジアに必要な要素は、(1)長期間の投資による、幅広い経済活動の拡充・向上、(2)経済規模を決定するインフラ・サービス、(3)目的意識の明確な教育、(4)社会保障を備えた労働環境や柔軟性のある労働市場、(5)リスク軽減による、企業の新規参入を促す環境整備、(6)「大メコン河流域圏(GMS)プログラム」、である。これらを、過去の成功例から手法を学び、応用させるべきである。そして、持続的にFDIを受入れ、経済を発展させるべきだ。
図1 FDI流入額
6. 感想
2007年5月、FNNが、日本のODAによって2006年3月に建設された上水道施設の転売計画をすっぱ抜いた。この背景には、カンボジア大物政治家と韓国企業「KTC」の利権関係が見え隠れする。だがこの問題の大元には、中国による世界資源争奪があり、その影響がいたる所にでてきていることを示している。カンボジア政府も中国との関係を深めつつある。だが、日本は過去の実績を持っており、それを最大限に活用し、カンボジア経済を主導し、発展させていくべきである。日本政府は、国際援助は外交手段であると認識を改めるべきである。私は、日本とカンボジアが地域及び国際社会の安定と繁栄に向けて協力する唯一のパートナーになる事を望む。
Nov 21, 2007
In my university
I am happy to feel the power of nature and I want to show you this scene.
Now in Japan, a season changes from autumn to winter.
As autumn comes to an end, it gets cooler and cooler.
When autumn comes to the end, it is the season of autumn's leaf.
The leaves turn to color that trees aflame with red and yellow leaves.
The colored leaves made a pleasant scene.
Maybe you will please this beautiful scene.
In addition, there is my favorite thing.
When the leaves fall down and touch the ground, the dry sound happen.
Dozens of pieces leaves, several hundred pieces leaves fall down.
So I can enjoy listening to a lot of dry sound.
In a silent place, I can hear only leaves sound.
Many sound.
I feel comfortable, it’s a restful scene.
And it continues until last leave.
In December, all the leaves fall from the trees.
How about you? Will you feel happy with these phenomenon of nature?
Many people visit famous places for the beauty of red leaves in Japan.
But I can watch the thing in my university.
Photographs I sent are my university’s colored leaves.
The building coming out together is a building of my laboratory.
My laboratory is in eighth floor, and Rimbow’s laboratory is seven floor (just under my laboratory).
Now in Japan, a season changes from autumn to winter.
As autumn comes to an end, it gets cooler and cooler.
When autumn comes to the end, it is the season of autumn's leaf.
The leaves turn to color that trees aflame with red and yellow leaves.
The colored leaves made a pleasant scene.
Maybe you will please this beautiful scene.
In addition, there is my favorite thing.
When the leaves fall down and touch the ground, the dry sound happen.
Dozens of pieces leaves, several hundred pieces leaves fall down.
So I can enjoy listening to a lot of dry sound.
In a silent place, I can hear only leaves sound.
Many sound.
I feel comfortable, it’s a restful scene.
And it continues until last leave.
In December, all the leaves fall from the trees.
How about you? Will you feel happy with these phenomenon of nature?
Many people visit famous places for the beauty of red leaves in Japan.
But I can watch the thing in my university.
Photographs I sent are my university’s colored leaves.
The building coming out together is a building of my laboratory.
My laboratory is in eighth floor, and Rimbow’s laboratory is seven floor (just under my laboratory).
About Cambodia
Why could I become to like Cambodia?
Because I felt to be attract many things of Cambodia.
Above all, Cambodian people are very kind.
I like character of Cambodian and I am compatible with a part of Cambodian.
Do you think so?
I went to Cambodia from 2006 August 3 to 2006 August 21.
I have a friend of Cambodia.
So I stayed his house in Kandal and his uncle’s house in Phnom Penh during 3 weeks.
It was excited travel for me.
Many Moto, many people and many under construction buildings.
I was surprised to look at Phnom Penh about vigor of the capital city.
All the time, the city has been changed by economic.
I directly felt Cambodian Economic growth power.
I dreamed of my future at Cambodian Economic growth.
So I became to like Cambodia.
How do you think about Phnom Penh?
When I did Cambodia trip, I went to city that is Phnom Penh, Kandal, Siem Reap, Kampong Cham, Kep, Kampot.
Of course, many remain are too interesting, but I was attract Siem Reap development.
I think that Kandal and Kampong Cham are countryside.
Kep and Kampot are located near sea.
I think they are good sites, because we could enjoy very good scenery.
I went to a lot of place, and I met kind people at all place.
I think Cambodian have a good character of mind.
By the way, which do you like a big city or countryside?
I like a big city like Phnom Penh than countryside.
Because there are many shopping center, a lot of foods, many goods, many fashionable clothes, cool music, ultramodern architecture and crowd.
I can enjoy every time and everywhere.
Because I felt to be attract many things of Cambodia.
Above all, Cambodian people are very kind.
I like character of Cambodian and I am compatible with a part of Cambodian.
Do you think so?
I went to Cambodia from 2006 August 3 to 2006 August 21.
I have a friend of Cambodia.
So I stayed his house in Kandal and his uncle’s house in Phnom Penh during 3 weeks.
It was excited travel for me.
Many Moto, many people and many under construction buildings.
I was surprised to look at Phnom Penh about vigor of the capital city.
All the time, the city has been changed by economic.
I directly felt Cambodian Economic growth power.
I dreamed of my future at Cambodian Economic growth.
So I became to like Cambodia.
How do you think about Phnom Penh?
When I did Cambodia trip, I went to city that is Phnom Penh, Kandal, Siem Reap, Kampong Cham, Kep, Kampot.
Of course, many remain are too interesting, but I was attract Siem Reap development.
I think that Kandal and Kampong Cham are countryside.
Kep and Kampot are located near sea.
I think they are good sites, because we could enjoy very good scenery.
I went to a lot of place, and I met kind people at all place.
I think Cambodian have a good character of mind.
By the way, which do you like a big city or countryside?
I like a big city like Phnom Penh than countryside.
Because there are many shopping center, a lot of foods, many goods, many fashionable clothes, cool music, ultramodern architecture and crowd.
I can enjoy every time and everywhere.
Nov 14, 2007
初期クメール建築研究
以下、引用 [Study on Early Khmer Architecture ] from YAMASAKI Toma , WASEDA Univ. Japan
クメール史はアンコール期とプレ・アンコール期に二分されるが、建築を主題とした研究の対象は、長期にわたり、このアンコール期に限られたものであり、さらに早くから整備が進められてきたアンコール地域に限定されてきた。プレ・アンコール期の煉瓦造建築群は、そのあらゆる構成要素に、アンコール期へと脈々と続く形式が見受けられるにもかかわらず、研究の対象からは除外されてきたのである。わずかに見られる既往研究は、E.Aymonier(1844-1929),L.Lajonquiere, H.Parmentier(1871-1949)など、ほぼ1世紀前のフランス人研究者による成果まで遡らなければならない。本研究では、実地調査および文献調査を基に、カンボジア王国のプレ・アンコール期に建立された遺構223を網羅的に扱い、現段階において可能な限り精緻に、建築史学的に諸要素の発展過程を明らかにすることを目的とした。 対象要素として、遺構の配置、平面形状、ニッチ(壁龕)、リンテル(まぐさ)、フライング・パレス(外壁に施される建造物を表現した装飾)を扱い、その形式の分類、変遷、分布を示した。特に、メコン川流域の遺構の諸要素とチャンパ建築との類似性を指摘したほか、外的影響を取り込みながら、独自の選択が繰り返される、諸要素の発展の過程を明らかにし、これまで完全に分断されていたプレ・アンコール期とアンコール期の形式上の連続性を示した。また、アンコール期において、首長国家から脱却し、専制的な王朝が発生したことは、その大規模かつ精緻な造成等から窺われるものの、それを構成する諸要素、特に伽藍配置や平面形態、リンテル等に対するクメールの選択は、プレ・アンコール、アンコールといたった区分を超え、連続したものであることが明らかとなった。
クメール史はアンコール期とプレ・アンコール期に二分されるが、建築を主題とした研究の対象は、長期にわたり、このアンコール期に限られたものであり、さらに早くから整備が進められてきたアンコール地域に限定されてきた。プレ・アンコール期の煉瓦造建築群は、そのあらゆる構成要素に、アンコール期へと脈々と続く形式が見受けられるにもかかわらず、研究の対象からは除外されてきたのである。わずかに見られる既往研究は、E.Aymonier(1844-1929),L.Lajonquiere, H.Parmentier(1871-1949)など、ほぼ1世紀前のフランス人研究者による成果まで遡らなければならない。本研究では、実地調査および文献調査を基に、カンボジア王国のプレ・アンコール期に建立された遺構223を網羅的に扱い、現段階において可能な限り精緻に、建築史学的に諸要素の発展過程を明らかにすることを目的とした。 対象要素として、遺構の配置、平面形状、ニッチ(壁龕)、リンテル(まぐさ)、フライング・パレス(外壁に施される建造物を表現した装飾)を扱い、その形式の分類、変遷、分布を示した。特に、メコン川流域の遺構の諸要素とチャンパ建築との類似性を指摘したほか、外的影響を取り込みながら、独自の選択が繰り返される、諸要素の発展の過程を明らかにし、これまで完全に分断されていたプレ・アンコール期とアンコール期の形式上の連続性を示した。また、アンコール期において、首長国家から脱却し、専制的な王朝が発生したことは、その大規模かつ精緻な造成等から窺われるものの、それを構成する諸要素、特に伽藍配置や平面形態、リンテル等に対するクメールの選択は、プレ・アンコール、アンコールといたった区分を超え、連続したものであることが明らかとなった。
カンボジアの研究
どうやら、2002,3年以降、カンボジア建築を対象とした研究室が増えてきてるようである。そして、その成果と蓄積が出始め、研究室ごとに格差ができ始めている。これは、非常にまずいことで、我が研究室も遅れをとる前に、すぐ行動すべきである。だが、まず人員がいない。やはり、研究をするにあって、有能な人間は、必須である。私を含め、英語ができない人間ばかりなので、話にならにのである。これでは、近畿大学理工学部建築学科都市計画研究室や早稲田大学に、永遠に追いつくことができない。
どうすればいいだ~
でも、来年、カンボジアの建築を取り扱った調査をすることが決まっている。なんとか、そこで、挽回しよう!
どうすればいいだ~
でも、来年、カンボジアの建築を取り扱った調査をすることが決まっている。なんとか、そこで、挽回しよう!
Nov 12, 2007
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