Jan 8, 2012

ラタナキリ Ratanakiri trip 1

プノンペンからラタナキリの州都バン・ルンまで、乗合タクシーとレンタカーで所要時間12時間もかかった。しかし、一度街に入ってからは、大自然の魅力・泊ったホテルの過ごしやすさ・帰りの悪路を考えると、ちょっと長めに滞在したくなるところだ。
カンボジア北東部に位置するラタナキリは、人口約15万人で、そのうちバン・ルンに2万人住んでいる。州の人口の76%は、クメール族以外の少数民族が占めている。


街から遠くないところに、カルデラ湖のヤクロム湖や数々の滝があり、楽しむことができる。


また、各少数民族の生活に触れることもできる。本当は、環濠集落をじっくり見てみたかったが、時間がなく断念した。

ある少数民族の村に変わった高床式の住居がる。床までの高さは3.7mもあり、そこから村全体がよく見渡せる。


2泊したホテル「テラ・ルージュ」ホテルからボンカンサン湖の朝日を観る。



ホテルの庭にあったクルン族の木彫。クルン族には喫煙の習慣がある。


カティエン滝






神秘的なカルデラ湖「ヤックロム湖」



橋がないのは当たり前、対岸へは木製ボートが大活躍です。




意外にも幹線道路は、赤土道路で整備されている。

カチョン滝では、観光用に象に乗って滝めぐりをすることできた。



クルン族の高床式住居 Ratanakiri trip 10

ラタナキリ州オー・チュム村トン・ノン・ラック(Cambodia, Rattanakiri, O Chum, Tong Nong Kac)

バン・ルン(Bang Lung)から車で15分ほど行った処にあるクルン族の村である。ここには、空中に浮いた鳥籠のような、また、火の見櫓のような構築物がある。これは、高床式の花婿用の住居(Groom's house)だそうだ。クルン族の男は、高所に住むことにより、勇気のある大人の男性として認められるそうだ。結婚前は、ここに一人で住み、結婚後は花嫁と生活することもあるとのこと。その花嫁の家(Bride's house)は、シンプルかつこじんまりとした高床式の小屋である。




村の中心から花婿用の住居(左手)と集会所(右手)を見る。



花婿用の住居(Groom's house)である。床高約3.7m、全高約5.0m、天高約1.2mで、床の長手方向約1.9m、短手方向2.2m、踏段を入れた全長約3.0mである。入口は、約φ600mmの楕円形である。かつては、直角に曲がる階段があり、踊り場ももう一つあった。


材料は、細い丸木、竹、ヤシの葉、それらを固定するための蔦のみである。


構造として、6本の丸木で住居本体を支え、前柱2本で前段を支持している。脚としての柱は、末広がりとなっており、構造的な安定をもたらしている。その足元は、掘立てである。


住居は竹や枝を編み込んで籠とし、弧を描いている。その編んだ格子にヤシの葉を結びつけて、風雨を防ぐ構造となっている。また、妻側の前後に2本ずつの細木が刺さっており、その先端は、折り曲げる加工が意図的されている。


他の特徴として、内側からヤシの葉を結び、外側に骨組みが見せていことも挙げられる。これは、高所では外部から作業ができないためであろう。つまり、施工順序として、穴を堀って、柱を立て、階段をつくり、床を架工する。その次に、長手方向の1辺から格子を編み始め、それを弧を描くように曲げて、他の辺に固定する。そこにヤシの葉を編み止める。最後に、妻側の壁を構成する。よって、このような屋根がない形態になった理由は、高所での作業ができない上に、小規模な構造から内側の作業によって、造り上げることができるからと推測される。


すごく簡素なつくりであるが、竹編みの技術や妻側の木の先端の加工、また、3.7mもの床高での生活の意味などを考えると、それぞれが独自の文化的背景から形成されていると感じることができる。これらを読み取ることに、バナキュラー建築の面白さがある。
しかし、鳥籠が串で空中に突き上げられているようで、大変奇妙である。小規模で、一人が臥するにしても狭い。



あとから思ったが、建物だけを観ていると、空葬の施設のような雰囲気を持っている。インドネシアの屋根裏部屋に遺体を安置して空葬する習慣を思い起こさせた。


花嫁の家(Bride's house)である。切妻屋根、妻入りの高床式住居で、長手方向2.3m、短手方向2.2mのほぼ正方形平面を持つ。掘立式9本の丸太柱で、壁・屋根共に細木で格子状に骨組みを組み、ヤシの葉で風雨を防いでいる。


床高0.9m、内部はもちろん天井はなく、床から桁まで約1m、床から棟木まで約2.1mで、人が立つと頭をする状態である。写真の反対側に入り口があり、そこには木製の扉450mm×900mmがある。入り口には、階段はなく、踏み段として、丸太が置いてある。この扉にはヒンジが付けられているが、もちろん、これは伝統技術ではないと思う。

また、妻木は、半割りの竹φ700mmが使用され、交点から200mm跳ね出した叉手となっている。



現地でのメモ

 花婿用の住居の隣にある集会所である。高床式の大型の切妻式妻入り構造で、壁面は木板縦張りの上に竹が編み込まれている。屋根は、現在、トタン葺きである。妻木には彫刻が施されている。入り口の前に木製のアプローチがあるが、そこの端部に造られているのは、手摺りではなく腰掛で、人々が談笑するための機能を持つ。


このクルン族の特徴の一つが妻木の彫刻である。私が、ラタナキリに行きたいと思ったのは、王宮に展示してある木造住居の写真を見たときで、そこにこの妻木を持つ建物もあった。その写真は山岳民族の特徴を端的に写し出しており、その異文化に起因する興味と、めったに行かない地区にあるという理由から、ずっといつかは行きたいと思うようになっていたのだった。


 この写真は、集会所のものではない。ただ、集会所の壁面もこれと同じ手法で竹を編み込んでいる。ラタナキリの少数民族の家屋の特徴は、壁面に模様を付けることである。その手法は、竹を平に割って、内側を外に向けて編みこむ。模様は、黒の色を着けたものと、素地のものを構図にあわせて配する。




 集会所の内部である。2間×4間で、単純な小屋組である。平面は、北側のみに窓があり、南側半分は一段高くなっている。また、北側には囲炉裏があり、暖をとるように工夫されている。これは、夜間対応として、寒さと明かりのためであろうか。



 村の一般的な住居にある妻木装飾である。牛の角であろうか。




 村の中央の広場には、3つの井戸があった。そこは、柵と低木で囲まれていた。村人は、ここで食料を洗ったり、洗濯をしていた。写真は、水浴びをする女性である。
以前に調査を行った村もそうであるが、井戸は村の中心性を知る上で重要な要素である。



 村では、豚が放し飼いにされていた。他の州では、家畜は個人所有物として、すべて柵に囲われた区画内で飼育されていたが、この村では、そこまで厳密に個人のものとして扱わないのであろうか。


 村の子供たちである。奥の女性が着ている服の柄が民族的な特徴を現していると思う。



ちなみに、この子供たちは、右下のiPadを見に集まってきた。写真右下の2人は友達の姪っ子で、私が村を散策している間、暇つぶしにiPadでゲームをしていた。そこに、めずらしさのためか、集まってきたのだ。余談だが、バン・ルンでも十分に電波があり、iPadでFacebookにアップすることできた。カンボジアでは、月10ドルでインターネット使い放題だそうだ。そのiPadは、私がカンボジア人の友達に買ってあげたのだが。

以下、参考図書
 

Countdown from 2011 to 2012

2011.12.31 大晦日の夜9時、プノンペン空港に到着した。日本では、歌番組や個人パーティなどで賑やかに過ごしたり、神社仏閣に参拝して静かに年越しをしたり、そばを食べたりと様々な年越しがある。一方のカンボジアでは、大々的には年末年始の行事を行わないのか、街中はいつもの雰囲気とあまり変わらず、少し物足りない気がした。
 実は、それは見かけ上の話で、友達夫妻はカウントダウンパーティに参加するため、ドレスを着てダイヤモンドアイランドの新しくできたホテルに出かけて行った。そのほかにも、例えば、あの有名なカーサー・ホテルのクラブ・カジノの入口には人だかりができていて、いつも以上に危険な雰囲気を出していた。また、ドリームランドやリバーサイドの公園、ダイヤモンドアイランドでは、それぞれのグループが寄り合い、川辺のエリアはいつも以上に賑やかで、それぞれ、楽しみながら年越しを過ごそうとしていた。下の写真にあるように、コンサートも開かれていたが、人だかりで全く近寄れなかった。
この時間帯、みんな集まってくるようで、ダイヤモンドアイランドの橋で渋滞を待っていて、ふと横の車を見ると、友達の高校の知り合いカップルがいたりと、何か予想もしないことが起きそうで、いつも以上にワクワクさせる夜であった。
 私は、シンワット・キーのKFCから道路を挟んで反対側にある川辺のレストランで、友達と二人で夕食、年越しをした。雰囲気は抜群によかった一方、友達から年越し花火が見えると聞いていたのだが、そこからは落としか聞こえず、非常に残念だった。唯一、見えたのはレストランの関係者が上げている手持ちの打上げ花火のみで、しみじみとそれを眺めていた。後から、どうやらダイヤモンドアイランドからだったよく見えたことをFacebookで知った。
 

ナーガ・ワールドのカウントダウン、あと1時間24分10秒。



ナーガ・ワールド前のコンサートは、巨大スクリーンにも映され、盛大に行われていた。



ダイヤモンアイランドのカウントダウンコンサート

中国共産党残党の村・ラオ族の村 Ratanakiri trip 7

ラタナキリ州ベン・サイ村 
(Ratanakiri, Veun Sai)

ベン・サイ(Veun Sai)、別名Wunsei,Viracheyは、バン・ルン(Bang Lung)から北西に約40km行ったところにある。ここからサン川(Tonel San)の対岸に、中国人の村とラオ族の村クランニャイがある。
ここに住む中国人は、噂で共産党残党が住み着いたとのことである。確かに、そこに住んでいた人々は、どうみても中国人の顔立ちをしている人が多かった。本土の中国人と風貌で違う点は、よく日に焼けている人が多いことだろうか。それとも、混血なのだろうか。
村には、そう多くはないが中国人向けの個人商店がぽつぽつとあり、小学校も中国の要素があった。
そして、川沿いを南下して行くと、なぜか、土間式の中国人の家々から少しづつ、高床式の家々が混じり、ラオ族の村へ移っていった。
なぜ、異民族がここに住み着いたのだろうか。道路が整備される前、昔からベン・サイは水上交通の要所だったのかもしれない。その商取引の関係で、住み着いたとも勝手に思ったりもする。
現在、ベン・サイは78A号線の終着点で、川を渡ると301号線に変わって、ストゥン・トレン州(Stung Treng)へつながっている。また、ベン・サイは、Ta Veaengへのボートの出発点でもある。






 ラオ族の家である。同じ高床式でもクメール人の家とは、全く間取り構成が異なっている。写真の家は、比較的大きな家である。他の家との共通事項として、長手方向が正面に向かう様になっている。屋根を複数持ち、規模が大きくなると付属屋が付く。また、手摺付のベランダを持っているのは、田舎ではめずらしい。




平面構成として、まず階段は必ず正面左側にある。そこを上がると、短手方向の奥まで通路的かつ家事場的な空間となっている。そのため、小規模な家だと片流れの庇屋根となる。



入口から入ると、平面は棟木柱で2分割されており、建物正面側と奥側に分かれる。手前の部屋は、入口側に楕円の窓があり、さらに奥(正面側右手)は無窓もしくは窓は常に閉まっている。一方、建物の奥半分の部屋は、 壁もしくは簡易的にビニールシートで区切られた居室となっている。





 中国人の家である。この村の住居スタイルは共通している。一棟切妻屋根平入式2階建で、1階の間口は前面に開かれた土間式である。1階は商店や作業場として使用されている。2階の前面は中国人好みの手摺を持つベランダとなっており、奥が居室である。


ガイドブックに載っていたから、来てみたものの、実際、そう特色がある訳ではなく、俺的には、とくに興味がわかなかった。

ラタナキリの土木 Ratanakiri trip 8

ラナナキリ州カライ周辺
(Ratanakiri,Kalai)

ラタナキリの特産物としてプランテーションから採れる数々の農作物である。近年は、農業施設の近代化が進められており、灌漑用ダムも建設されている。
写真は、その一例である。詳しくは判らないが、表層の赤土から、構造はフィルダム・アースダムだと思う。ただ、水草が生えている状況から、それ程、水深がない部分も多いのではないだろうか。ダムは延長300mぐらいで、高さも十数mぐらいしかないような気がした。


堰堤上の道路



 ダムからプランテーションを見下ろす。それ程、高さがないことが判る。


ダム湖

ヤクロム湖 Ratanakiri trip 9

ヤクロム湖(Yeak Laom)

バン・ルン(Bang Lung)から南東に5kmにあるカルデラ湖である。約4000年前(他説もあり、詳しくは知らない。)の火山活動によりできた。周囲約2.5km、最深部約50mもあり、水は澄んでいた。

湖へは、入場料を払って駐車場に車を止め、そこから歩いて階段を下りていくことになる。その前に、駐車場脇にある露店に昼食を持ってくるように頼んでおいた。

階段を下りて正面に、手摺の途切れている桟橋があり、そこから皆飛び込んで水遊びをしていた。
湖は、きれいな円弧を描いているのが見て取れ、水位の変化がないためか、木々の葉は湖面ぎりぎりまで生い茂っていた。水際に座っていると、とっても静かで湖面の蒼さなどからも、清涼感に包まれ、神秘的な雰囲気をかもし出していた。
この湖はタプーン族の聖域らしく、その管理自体も行っているらしい。


 空の青、湖の蒼、その間の深緑がとっても印象的であった。









入れ替わりにいろいろなグループが水遊びに来ていた。ただ、写真のグループの顔は、クメール族のものではなく、それよりも濃く深い顔立ちであった。




 この桟橋の左手すぐのところで食事を取った。

 大自然の中での食事は、大変、心地よかった。さらに、料理の味付けもよく、特に、チキンは香ばしく、よく走り回っているせいか、肉もよく引き締まっており、大変、結構であった。





上記の看板の内容


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Location:


Yeak Laom Commune is located 3-4 KM east of Ban Lung, the capital of Rattanakiri province. The center piece of the area is Yeak Laom Lake, a volcanic crater lake believe to have been created about 700,000 years ago. The present day lake is bout 800 meter across, more than 50 meters deep at the center and surround by the forest to the top of the crater rim.




History:


The indigenous inhabitants of the region, The Kmer Ler, have long recognized the lake as sacred place, home to the spirit of land, water and forest. These geosymbols' are between the celestial worlds populated by human. Yeak Laom Lake carries a rich mythology, evoking its genesis and history and describing the fabulous aquatic being who live there. It is said that no permanent building cam be established on its bank; just as surround forest can not be cut because they are the privilege home of spirit. Yeak Laom Lake is part of heritage of the Tampeun people and is symbol of Rattanakiri province for the Khmer and all high land people.

カティエン滝 Ratanakiri trip 12

カティエン滝(Ou Ka Tieng Waterfall)



街の中心から南西へ9kmにある滝である。この滝には、観光用のワイヤーの吊橋が架かっており、家族やカップルの記念撮影様に向いている。また、階段を下りると滝壺まで行くことができ、そこの岩に座り、滝の轟音を聞きながらビールを飲むのもOK!ただ、途中の階段は腐っているので注意が必要。








駐車場にお土産屋が一軒だけあり、そこで少数民族風の子供服を売っていた。友達の姪っ子たちに買ってあげた。

Jan 7, 2012

プサー・バン・ルン Ratanakiri trip 11

バン・ルン市場(Bang Lung Market)

バン・ルンでひとつのマーケットだが、とっても大きい。数々の商品がならび、田舎の都市とは思えないほどの活気があった。州都2万人にふさわしい規模である。ただ、地場の商品は、鮮度が必要な食料品の場合が多く、軽工業製品はもちろん他の都市から運ばれてきたもので、果物などはラオスから輸入されたものと聞かされた。それらが、衛生秩序なく並べられているところは、いかにもカンボジアの田舎っぽい感じだ。

このマーケットの特色は、ラタナキリ特産のブルージリコンを豊富な種類あつかっていることだ。いい石はもちろんいい値段がする。その一方、小粒ながらそれなりのものと思われるジリコンで、言い値で$50、まけてもらって$35のものを買った。くず石だと一個$5からある。だが、宝石のことはよく判らない。