奥に見えるが姫路城
セセッションの影響を受けたデザイン
「姫路市の創設上水道敷設過程に関する研究」
"A Study on Planning Process of the First Water Works in Himeji City"
近代都市計画は、その重要性から多くの研究がなされています。しかし、近代上水道については、都市計画に含まれるにも関わらず、あまり研究が成されていません。そこで、将来的に近代上水道史をまとめる事を目標とし、まず私の地元である兵庫県姫路市から研究を始め、それを周辺都市との比較研究へ広げていくことを意図しました。
その兵庫県姫路市の創設上水道(昭和4年に敷設)は、現在に至るまで、絶え間なく市民に水を送り続けています。これらの施設は、昭和初期における近代上水道の貴重な遺産であり、土木学会の「日本の近代土木遺産」登録など、その重要性が評価されつつあります。
これらの設計を依頼されたのは、先進都市から招聘された水道技術者たちでした。ですが、その計画・建設過程で、それらの技術者が、当時の実状と長期的な展望をどのように考え、実際にどう反映させたのかについては、あまり明確にはなっていなかった。そこで本研究の目的は、どのような構想、計画、施工を経て、竣工に至ったかを、技術者に焦点を当て、その関与を具体的に検証し、姫路市の創設上水道の設計過程を解明したものです。
研究手法は、
1、文献調査
人物・組織、出来事、技術的な要因、社会的な背景などを時系列上に並べ、正確な事実関係を把握し、客観的に整理
2、現地調査と聞き取り調査
現状と建設当時の状況について、新たな事実の認知や、文献の信憑性を高める
3、比較考察
姫路市と他の先行都市との比較をして、総合的な考察
以上により、姫路市近代上水道の土木史上の位置づけを行いました。
その結果、姫路市創設上水道は、主に澤井準一によって、計画策定とその変更が行われていたことが判明しました。また、姫路市の上水道敷設過程に内務省の強い関与が明らかとなりました。それは、市の技術者が作成した計画には、多少、矛盾した点あるいは不十分な点を含んでいました。その為、内務省の技術者たちは、経済的かつ合理的な視点において、適確な技術指導を行っていたとことが判明しました。今後の課題として、澤井準一の所属した京大派(戦前の水道界の有力な集団)の施工事例と比較、検証する必要があります。
近代都市計画は、その重要性から多くの研究がなされています。しかし、近代上水道については、都市計画に含まれるにも関わらず、あまり研究が成されていません。そこで、将来的に近代上水道史をまとめる事を目標とし、まず私の地元である兵庫県姫路市から研究を始め、それを周辺都市との比較研究へ広げていくことを意図しました。
その兵庫県姫路市の創設上水道(昭和4年に敷設)は、現在に至るまで、絶え間なく市民に水を送り続けています。これらの施設は、昭和初期における近代上水道の貴重な遺産であり、土木学会の「日本の近代土木遺産」登録など、その重要性が評価されつつあります。
これらの設計を依頼されたのは、先進都市から招聘された水道技術者たちでした。ですが、その計画・建設過程で、それらの技術者が、当時の実状と長期的な展望をどのように考え、実際にどう反映させたのかについては、あまり明確にはなっていなかった。そこで本研究の目的は、どのような構想、計画、施工を経て、竣工に至ったかを、技術者に焦点を当て、その関与を具体的に検証し、姫路市の創設上水道の設計過程を解明したものです。
研究手法は、
1、文献調査
人物・組織、出来事、技術的な要因、社会的な背景などを時系列上に並べ、正確な事実関係を把握し、客観的に整理
2、現地調査と聞き取り調査
現状と建設当時の状況について、新たな事実の認知や、文献の信憑性を高める
3、比較考察
姫路市と他の先行都市との比較をして、総合的な考察
以上により、姫路市近代上水道の土木史上の位置づけを行いました。
その結果、姫路市創設上水道は、主に澤井準一によって、計画策定とその変更が行われていたことが判明しました。また、姫路市の上水道敷設過程に内務省の強い関与が明らかとなりました。それは、市の技術者が作成した計画には、多少、矛盾した点あるいは不十分な点を含んでいました。その為、内務省の技術者たちは、経済的かつ合理的な視点において、適確な技術指導を行っていたとことが判明しました。今後の課題として、澤井準一の所属した京大派(戦前の水道界の有力な集団)の施工事例と比較、検証する必要があります。
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