Jan 8, 2012

中国共産党残党の村・ラオ族の村 Ratanakiri trip 7

ラタナキリ州ベン・サイ村 
(Ratanakiri, Veun Sai)

ベン・サイ(Veun Sai)、別名Wunsei,Viracheyは、バン・ルン(Bang Lung)から北西に約40km行ったところにある。ここからサン川(Tonel San)の対岸に、中国人の村とラオ族の村クランニャイがある。
ここに住む中国人は、噂で共産党残党が住み着いたとのことである。確かに、そこに住んでいた人々は、どうみても中国人の顔立ちをしている人が多かった。本土の中国人と風貌で違う点は、よく日に焼けている人が多いことだろうか。それとも、混血なのだろうか。
村には、そう多くはないが中国人向けの個人商店がぽつぽつとあり、小学校も中国の要素があった。
そして、川沿いを南下して行くと、なぜか、土間式の中国人の家々から少しづつ、高床式の家々が混じり、ラオ族の村へ移っていった。
なぜ、異民族がここに住み着いたのだろうか。道路が整備される前、昔からベン・サイは水上交通の要所だったのかもしれない。その商取引の関係で、住み着いたとも勝手に思ったりもする。
現在、ベン・サイは78A号線の終着点で、川を渡ると301号線に変わって、ストゥン・トレン州(Stung Treng)へつながっている。また、ベン・サイは、Ta Veaengへのボートの出発点でもある。






 ラオ族の家である。同じ高床式でもクメール人の家とは、全く間取り構成が異なっている。写真の家は、比較的大きな家である。他の家との共通事項として、長手方向が正面に向かう様になっている。屋根を複数持ち、規模が大きくなると付属屋が付く。また、手摺付のベランダを持っているのは、田舎ではめずらしい。




平面構成として、まず階段は必ず正面左側にある。そこを上がると、短手方向の奥まで通路的かつ家事場的な空間となっている。そのため、小規模な家だと片流れの庇屋根となる。



入口から入ると、平面は棟木柱で2分割されており、建物正面側と奥側に分かれる。手前の部屋は、入口側に楕円の窓があり、さらに奥(正面側右手)は無窓もしくは窓は常に閉まっている。一方、建物の奥半分の部屋は、 壁もしくは簡易的にビニールシートで区切られた居室となっている。





 中国人の家である。この村の住居スタイルは共通している。一棟切妻屋根平入式2階建で、1階の間口は前面に開かれた土間式である。1階は商店や作業場として使用されている。2階の前面は中国人好みの手摺を持つベランダとなっており、奥が居室である。


ガイドブックに載っていたから、来てみたものの、実際、そう特色がある訳ではなく、俺的には、とくに興味がわかなかった。

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