Jan 8, 2012

クルン族の高床式住居 Ratanakiri trip 10

ラタナキリ州オー・チュム村トン・ノン・ラック(Cambodia, Rattanakiri, O Chum, Tong Nong Kac)

バン・ルン(Bang Lung)から車で15分ほど行った処にあるクルン族の村である。ここには、空中に浮いた鳥籠のような、また、火の見櫓のような構築物がある。これは、高床式の花婿用の住居(Groom's house)だそうだ。クルン族の男は、高所に住むことにより、勇気のある大人の男性として認められるそうだ。結婚前は、ここに一人で住み、結婚後は花嫁と生活することもあるとのこと。その花嫁の家(Bride's house)は、シンプルかつこじんまりとした高床式の小屋である。




村の中心から花婿用の住居(左手)と集会所(右手)を見る。



花婿用の住居(Groom's house)である。床高約3.7m、全高約5.0m、天高約1.2mで、床の長手方向約1.9m、短手方向2.2m、踏段を入れた全長約3.0mである。入口は、約φ600mmの楕円形である。かつては、直角に曲がる階段があり、踊り場ももう一つあった。


材料は、細い丸木、竹、ヤシの葉、それらを固定するための蔦のみである。


構造として、6本の丸木で住居本体を支え、前柱2本で前段を支持している。脚としての柱は、末広がりとなっており、構造的な安定をもたらしている。その足元は、掘立てである。


住居は竹や枝を編み込んで籠とし、弧を描いている。その編んだ格子にヤシの葉を結びつけて、風雨を防ぐ構造となっている。また、妻側の前後に2本ずつの細木が刺さっており、その先端は、折り曲げる加工が意図的されている。


他の特徴として、内側からヤシの葉を結び、外側に骨組みが見せていことも挙げられる。これは、高所では外部から作業ができないためであろう。つまり、施工順序として、穴を堀って、柱を立て、階段をつくり、床を架工する。その次に、長手方向の1辺から格子を編み始め、それを弧を描くように曲げて、他の辺に固定する。そこにヤシの葉を編み止める。最後に、妻側の壁を構成する。よって、このような屋根がない形態になった理由は、高所での作業ができない上に、小規模な構造から内側の作業によって、造り上げることができるからと推測される。


すごく簡素なつくりであるが、竹編みの技術や妻側の木の先端の加工、また、3.7mもの床高での生活の意味などを考えると、それぞれが独自の文化的背景から形成されていると感じることができる。これらを読み取ることに、バナキュラー建築の面白さがある。
しかし、鳥籠が串で空中に突き上げられているようで、大変奇妙である。小規模で、一人が臥するにしても狭い。



あとから思ったが、建物だけを観ていると、空葬の施設のような雰囲気を持っている。インドネシアの屋根裏部屋に遺体を安置して空葬する習慣を思い起こさせた。


花嫁の家(Bride's house)である。切妻屋根、妻入りの高床式住居で、長手方向2.3m、短手方向2.2mのほぼ正方形平面を持つ。掘立式9本の丸太柱で、壁・屋根共に細木で格子状に骨組みを組み、ヤシの葉で風雨を防いでいる。


床高0.9m、内部はもちろん天井はなく、床から桁まで約1m、床から棟木まで約2.1mで、人が立つと頭をする状態である。写真の反対側に入り口があり、そこには木製の扉450mm×900mmがある。入り口には、階段はなく、踏み段として、丸太が置いてある。この扉にはヒンジが付けられているが、もちろん、これは伝統技術ではないと思う。

また、妻木は、半割りの竹φ700mmが使用され、交点から200mm跳ね出した叉手となっている。



現地でのメモ

 花婿用の住居の隣にある集会所である。高床式の大型の切妻式妻入り構造で、壁面は木板縦張りの上に竹が編み込まれている。屋根は、現在、トタン葺きである。妻木には彫刻が施されている。入り口の前に木製のアプローチがあるが、そこの端部に造られているのは、手摺りではなく腰掛で、人々が談笑するための機能を持つ。


このクルン族の特徴の一つが妻木の彫刻である。私が、ラタナキリに行きたいと思ったのは、王宮に展示してある木造住居の写真を見たときで、そこにこの妻木を持つ建物もあった。その写真は山岳民族の特徴を端的に写し出しており、その異文化に起因する興味と、めったに行かない地区にあるという理由から、ずっといつかは行きたいと思うようになっていたのだった。


 この写真は、集会所のものではない。ただ、集会所の壁面もこれと同じ手法で竹を編み込んでいる。ラタナキリの少数民族の家屋の特徴は、壁面に模様を付けることである。その手法は、竹を平に割って、内側を外に向けて編みこむ。模様は、黒の色を着けたものと、素地のものを構図にあわせて配する。




 集会所の内部である。2間×4間で、単純な小屋組である。平面は、北側のみに窓があり、南側半分は一段高くなっている。また、北側には囲炉裏があり、暖をとるように工夫されている。これは、夜間対応として、寒さと明かりのためであろうか。



 村の一般的な住居にある妻木装飾である。牛の角であろうか。




 村の中央の広場には、3つの井戸があった。そこは、柵と低木で囲まれていた。村人は、ここで食料を洗ったり、洗濯をしていた。写真は、水浴びをする女性である。
以前に調査を行った村もそうであるが、井戸は村の中心性を知る上で重要な要素である。



 村では、豚が放し飼いにされていた。他の州では、家畜は個人所有物として、すべて柵に囲われた区画内で飼育されていたが、この村では、そこまで厳密に個人のものとして扱わないのであろうか。


 村の子供たちである。奥の女性が着ている服の柄が民族的な特徴を現していると思う。



ちなみに、この子供たちは、右下のiPadを見に集まってきた。写真右下の2人は友達の姪っ子で、私が村を散策している間、暇つぶしにiPadでゲームをしていた。そこに、めずらしさのためか、集まってきたのだ。余談だが、バン・ルンでも十分に電波があり、iPadでFacebookにアップすることできた。カンボジアでは、月10ドルでインターネット使い放題だそうだ。そのiPadは、私がカンボジア人の友達に買ってあげたのだが。

以下、参考図書
 

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